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《Jユースではなくブラジル》三都主の育成クラブに日本人16歳点取り屋が!「三都主さんの長男とチームメートで親友です」
posted2021/11/24 17:04
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
ASB
身長173cm、体重66kg。ポジションはCF。U-16のチーム得点王で、すでにU-17の試合でも起用されているという。
杉浦響君と父・光(こう)さんに話を聞いた。
アメリカ、欧州を経験してブラジルへ
――日本での経歴を教えてください。
響「2005年8月、愛知県碧南市生まれです。父が東海リーグなどでプレーした元選手で、物心ついたときからボールを蹴っていました。
5歳で地元の西端サッカー少年団に入りました。父が小中学生にサッカーを教える碧FCというクラブを立ち上げたので、小学校時代は週日は碧FCで練習し、週末は少年団で試合。少年団は小学校だけだったので、中学時代は毎日、碧FCで練習して試合にも出ていました。
その一方で、アメリカのボストンで行なわれたサッカーキャンプに参加したり、父の知人のチームの欧州遠征に特別参加させてもらったりして、海外での経験も積みました」
光「私は、かつてはプロ選手を目指していたのですが、響が生まれ、『自分の代わりにこの子をプロにしたい』と考えました。海外へも行かせたのは、選手としてのみならず、人間的な成長も考えてのことですね。そして、昨年の2月から3月にかけて、三都主サッカーアカデミーに短期留学させました」
――響君、アメリカ、欧州ではどんな経験をしたのですか?
響「アメリカでは、みんな体が大きくてパワーがあったけど、テクニックはそれほどでもなかった。欧州では、ベルギーでシント・トロイデンなど、フランスではパリ・サンジェルマンなどの同年代のチームと対戦しました。
パリ・サンジェルマンはBチームだったんだけど、テクニック、フィジカル、体のサイズなどですべてに差があって、コテンパンに負けた。ショックでした」
響君が“Jユースを選ばなかったワケ”
――昨年、三都主サッカーアカデミーに短期留学した経緯は?
光「私の知人が三都主さんと面識があり、『ブラジルで育成クラブを立ち上げ、日本から留学生を受け入れることも可能』と聞いたからです」
――響君、短期留学した際の印象は?