熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「トルシエ、ジーコはほぼ同様。でもオシムは…」三都主アレサンドロが語る《あの頃と今の日本代表/サイドバック論》
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada/Koji Asakura
posted2021/11/24 17:02
ブラジルでの直撃取材に応じてくれた三都主アレサンドロ。当時と今の日本代表について大いに語ってくれた
「日本は攻撃的なスタイルだと思うので、組織的に守り、攻撃面では個人能力を発揮して積極的にプレーすることを要求されていると思う。僕も、若い頃は攻撃的なポジションでプレーするのが好きだったが、次第にSBの面白さがわかってきた。多くの若手が競い合い、優秀な選手がどんどん出てきてほしい」
FKが上手くなるためには「練習。それしかない」
――セットプレーに関しても、かつての日本代表には中村俊輔、本田圭佑、遠藤保仁ら優秀なキッカーが目白押し。あなたもその1人でした。しかし、今は優れたキッカーが少なく、FK、CKからの得点が少ない。
「でも、それも世界的な傾向だよ。ブラジル代表だって、もう長いことFKを決めていない。世界でも、FKの名手ってメッシ、クリスティアーノ・ロナウドくらいじゃないかな」
――どうすれば、FKがうまい選手を育てることができるのでしょうか?
「練習。それしかない。僕は、チーム練習の後、居残ってFKを50本、60本と蹴ったものだ。ジーコにしても、ものすごく練習したと聞いている。でも、最近はそこまで突き詰めて練習する選手が少ないようだ」
――なぜ練習しないのでしょう?
「さあね。僕の方が知りたいよ(笑)。オーバートレーニング症候群になる選手もいるから、コーチが練習量を調整するのかもしれない」
16歳での日本留学と部活動への印象
――現役時代について質問します。あなたは、グレミオ・マリンガという父親が在籍した地元のプロクラブのアカデミーで育ち、16歳でトップチームに昇格。明徳義塾高校(高知)へ留学しました。地球の反対側へ行って、大変な苦労をしたのではないでしょうか?
「そうだね。言葉が全くわからなかったし、メンタリティ、習慣、食事、気候などすべてが著しく異なっていた。でも、当時の監督はブラジル人だったし、僕以外にもブラジル人留学生が3人いたので助かった。互いに励まし合って努力を重ね、生活に適応し、日本語を覚え、フットボールで頑張った」
――ブラジルのプロクラブのアカデミーと日本の部活動のチームとでは、練習環境、選手の意気込みも異なっていたと思います。今でこそ明徳義塾は強豪校ですが、当時は全国大会と無縁。誰もがプロ選手を目指すブラジルのアカデミーとは、随分異なる状況だったのでは?