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「トルシエ監督解任 W杯ベンゲル氏に」朝日新聞やNHKが確定的に報じた《解任》をトルシエはどう切り抜けたのか
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/11/10 11:06
日本代表監督として、その去就も含めて様々な話題を振りまいたトルシエ氏。その横にはいつも通訳のダバディ氏がいた
実際、アーセナルとの契約をほどなく更新し、ベンゲル招聘の可能性は消滅した。それでもトルシエ解任論はなくならず、日本代表が参加するハッサン2世杯(2000年6月、モロッコ)の出場メンバー発表まで、ほぼ3週間にわたり騒ぎは続いたのだった。
情報をリークしたのは強化推進本部の幹部だった
木之本興三の回想(『日本サッカーに捧げた両足』。初代Jリーグ専務理事であった木之本は、初代チェアマンの川淵三郎が創設に参画する以前から、森健兒らとともにプロリーグ設立に奔走した、Jリーグ立ち上げの影の立役者であった。このときは日本サッカー協会・強化推進本部副部長も兼任して、トルシエとお互いの感情をストレートにぶつけあうやりとりを重ねながら、W杯に至るトルシエジャパンをサポートした)によれば、記者からの電話で情報をリークしたのは木之本自身であったという。
日本代表をサポートしつつ、同時に監督の評価もおこなう強化推進本部の7人が出した結論は、4対3でトルシエ解任だった(木之本自身は留任に投票)。だがそれは、強化推進本部の結論であって日本協会の決定ではない。記者にはそう釘を刺したが、ベンゲルを『心の恋人』と公言してはばからなかった別の協会幹部の言質を得たのだろう。朝日はトルシエ解任とベンゲル招聘を1面に打ったのだった。
記者たちはトルシエに共感を覚えはじめていた
このころ、日本代表を担当する記者たち――とりわけスポーツ新聞の記者たちは、トルシエに共感を覚えはじめていた。言葉や態度は相変わらず滅茶苦茶だし、メディアへの攻撃的な態度を改めることもなかったが、サッカーに対しては極めて真摯で、日本サッカーを進化させようとする情熱には何の混じり気もないことに、彼らも気づきだしたからだった。ただの軍隊式スパルタコーチではない。指導はきめ細かく、選手のことも十分に配慮している。相手を理解しようとする機運は、両者の間に芽生えはじめていた。現場とデスクの見解の相違から紙面には反映されなかったが、トルシエの指導力を評価した多くの記者たちは、契約更改を支持していた。
だが、記者たちには、やらねばならない仕事があった。