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「トルシエ監督解任 W杯ベンゲル氏に」朝日新聞やNHKが確定的に報じた《解任》をトルシエはどう切り抜けたのか
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/11/10 11:06
日本代表監督として、その去就も含めて様々な話題を振りまいたトルシエ氏。その横にはいつも通訳のダバディ氏がいた
「トルシエもスポーツ紙を味方につけておけば……。僕らだってファンと同じで、彼に監督を続けてほしいと思っている。でも(リークで)情報が出てくる以上、僕らとしては書かざるを得ないんです」
そう語ったのは、あるスポーツ紙で日本代表を担当する記者だった。思いは同じなのに、それが形にならない。ボタンのかけ違いはどこで起こったのだろうか……。
同じころ、私は横浜の中華レストランでおこなわれた日本サッカー狂会の総会に出席した。総会といっても実質は懇親会である。周囲のテーブルでは、友人でもある狂会員たちが、「トルシエの次の代表監督はベンゲルがいい」、「いや、エメ・ジャケ(1998年フランスW杯優勝監督)が来てくれれば」などと、楽しそうに話していた。彼らの屈託のない会話に、トルシエと暗いやりとりを日々続けていた私の心はさらに落ち込んだ。自分と彼らの立ち位置の違いも痛感した。
「もう、この人たちと心を通わせることはないのだろうな」と、このときに思った。以来、年会費は今も払い続けているが、狂会の集まりに顔を出したことは1度もない。
6月20日、岡野会長とトルシエの会談が行われた
解任騒動は、岡野俊一郎・日本サッカー協会会長がトルシエ留任の意志を固め、6月20日にトルシエと会談して2002年W杯はトルシエで臨むことが確認されて収束した。ベンゲルの招聘が難しいのが日本でも明らかになったことと、会談前に参加したハッサン2世杯(モロッコ)で日本が世界チャンピオンのフランスと2対2で引き分け(結果はPK戦の末に敗北)、フランスW杯で敗れたジャマイカに4対0と大勝したことで、トルシエに対する批判も急速に鎮静化した。以降、日本協会は、木之本の強化推進本部が中心となって、トルシエジャパンをW杯まで全面的にサポートしていく。
ハッサン2世杯の後、日本に戻る前にトルシエは、23歳以下の代表チームで争われるトゥーロン国際大会を視察した。日本からは大学選抜が初参加したが、目的は前評判の高かったコートジボワールを見ることだった。そしてこの大会には、ベンゲルも視察に訪れていた(後にコロ・トゥーレをASECアビジャンから獲得)。すでに日本協会から留任を伝えられていたのだろう。カクテルパーティーでトルシエは、すっかりリラックスしてベンゲルやジャンフィリップ・レータッケル、ジャンマルク・ギウー(トルシエと入れ替わるようにASECアビジャンでアカデミーを創設し、トゥーレ兄弟やロマリック、ディディエ・ゾコラなどコートジボワール代表10数人を育てた世界的な指導者)らと談笑していた。2002年に向けて、彼が最大の困難を克服したことを私も実感できた。(「日本代表監督就任編」から読む)
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