酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
《ドラ1同級生、2年目の覚醒》佐々木朗希・奥川恭伸・宮城大弥は高3の夏、笑顔の戦友だった… 新世代エースの意外と知らない“こぼれ話”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2021/10/18 11:02
2019年U-18日本代表での奥川恭伸、宮城大弥、佐々木朗希。2年後の今、日本球界を支えるエースになる予感を漂わせている
機張のヒュンダイ・ドリームボールパークは、4面の球場(1面はソフトボール用)が集まった日本にはないベースボールコンプレックスだった。
奥川・佐々木に注目が集まる中で宮城が見せた好投
侍ジャパンに選ばれた高校生たちは、甲子園の重圧から解放されて、のびやかな表情を見せていた。日本からは多くのメディアが詰めかけていたが、注目は佐々木と奥川に集まっていた。
佐々木にとっては、甲子園で活躍した全国の有名な同世代と交流する数少ない機会だったはずだ。遠くからでも目立つ、ひときわ大きな体でベンチから声援を送っていた。
奥川は、登板しないときにはイニング間に外野手とのキャッチボールの相手をしたり、選手にドリンクをもっていったり、甲斐甲斐しく働いていた。そして笑顔が印象的だった。その奥川はカナダ戦に先発し7回自責点1で勝利投手になった。佐々木は韓国戦で先発したものの右手中指に血豆ができて1回で降板。四球と三振を1つずつ記録して無失点だった。
そんな中で宮城は、先発・救援で3試合に登板した。特に9月1日のアメリカ戦が印象に残っている。小雨が降る中でのナイトゲーム。照明は暗く、良いコンディションとは言えなかったが、最終回に上がった宮城は小気味よい投球を見せ、3者連続三振に切って取った。
当時も日韓関係は良くなく、日本選手はホテルと球場の往復に終始した。筆者は現地で不快な思いをすることは全くなかったが、日本高野連は日の丸のついたユニフォームを球場外で着用しないなど、細心の注意を払っていた。しかし彼らとて高校生だ。そんな窮屈な中でも3人は同世代として交流を深めたに違いない。
宮城は“外れ外れ1位”ながら1年目でプロ初勝利
プロに入って以降の2年間も振り返っていこう。
ドラフトでともに4球団が競合した佐々木はロッテに、3球団競合の奥川はヤクルトに入団。宮城大弥は東邦の石川昂弥、社会人JFE西日本の河野竜生を指名するも、くじ引きで負けたオリックスから外れ外れ1位の指名を受けて入団した。
3人の中で最初に勝ち星を挙げたのは宮城だった。1年目の10月に一軍に昇格し、11月6日の日本ハム戦で初勝利を挙げた。
オリックスの春季キャンプは、8人が同時に投げることができる12球団随一のブルペンが売り物だが、今春の宮城はこのブルペンで先輩投手に並んで臆することなく投げ込んでいた。これで一気に注目が集まった。性格的には「いじられキャラ」のようで山本由伸など先輩投手に可愛がられていた。
佐々木のベール、奥川は古田臨時コーチに投げ込み
佐々木は1年目、二軍戦にも投げなかった。沖縄、石垣島での春季キャンプでもブルペンに入る日は限定され、吉井コーチや井口監督が常に佐々木を注視していた。「秘密のベール」はプロ入りしてからも掛かったままだった。2年目になって佐々木はようやくファームのマウンドに上がるようになった。