プロ野球亭日乗BACK NUMBER
<ドラフト真相>「斎藤くんが巨人にどうしても入りたいと言ってくれたら…」巨人が斎藤佑樹を断念して澤村拓一を1位指名したワケ
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2021/10/09 11:06
2010年のドラフト会議で日本ハムに1位指名され、記者会見で笑顔を見せた斎藤。プロ11年間で15勝26敗、防御率4.34という成績だった
原稿の最終的な結論は、巨人の過去のドラフトを紐解けば、必ずその年一番のスターを指名してきたし、それが球界の活性化にもつながる。だとすれば斎藤を指名すべきではないか、というものだった。
もちろんそれぞれの1位指名候補には、選手としての魅力がある。ただ斎藤ほどのスター性を持つ選手は、それこそ松坂以来であり、いうならば10年に一人だった。
そういうスター選手を逃すべきではないという勝手な、あくまで勝手な思いだったのである。
巨人・清武英利代表兼GMに球団事務所に呼び出された
ただそれからしばらく後に、巨人は斎藤ではなく澤村を指名することを知らされた。
原稿が掲載されてから1カ月ほど経った10月の初め、当時の巨人・清武英利代表兼GMに球団事務所に呼び出された。そこで清武さんから巨人は斎藤を指名しない、澤村を指名することを聞かされ、その理由をこう説明されたのである。
「あんたが書いていたことはよく分かるし、その通りだと思うところもある。ただ、巨人軍はどうしても巨人に来たい、巨人に入ることを熱望している選手を指名するんだ」
巨人の伝統的なドラフト戦略には“逆指名”という考えがある。古くは法政大の江川卓投手、東海大の原辰徳内野手(現監督)らも巨人を“逆指名”してドラフトを待った。
もちろん当時は制度的に“逆指名”はない。ルール的な縛りもない。だが、「巨人以外の指名を受けても入団しないで社会人や大学にいく」と宣言することで、ライバル球団が指名に二の足を踏むことを狙った戦略だった。しかしこの戦略は実際問題としては、なかなか効果は上がらなかったのも現実で、その結果、巨人の猛烈な働きかけで実現したのが上位2位までの大学・社会人出身選手には球団を選ぶ権利を与える「逆指名」「自由枠」という制度だった。