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「金メダルはこれっぽっちのものであるように感じて…」苦難の5年間を越えて萩野公介がたどりついた「いちばん幸せ」なオリンピック
posted2021/07/31 17:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
最後は、笑顔で締めくくった。晴れやかな笑顔だった。
7月30日、競泳男子200m個人メドレー決勝。萩野公介は1分57秒49の6位で終えた。
「最後、東京オリンピックの舞台で泳ぐことができたので、うれしかったです」
ようやくたどり着けた大舞台だった。
2012年ロンドン五輪400m個人メドレーで銅メダル、2016年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した。リオでは200m個人メドレーでも銀メダル、4×200mリレーで銅メダルを手にし、男子のエースと呼ばれた。
だが、ここまでの5年間は苦難の連続だった。
それでも、東京五輪を目指した
リオ五輪が終わった翌月、前年に骨折した右ひじを手術、一時ブランクを強いられた。
2017年には世界選手権、2018年にはパンパシフィック選手権に出場し、世界選手権では200m個人メドレーで銀メダルを、パンパシフィック選手権は400m個人メドレーで銀メダル、200m個人メドレーで銅メダルを獲得した。一定の好成績を残していたが、萩野は喜ぶことはなかった。世界選手権ではひとこと、「悔しいです」と押し殺した声で応えるほどだった。
右ひじ手術の影響も一因だったろう。でも、それは一因だった。「金メダリスト」という肩書はどうしてもつきまとう。東京五輪で連覇を、という周囲の期待が集まり、そして萩野も肩書を背負う責任感を抱いているようだった。
何よりも、どうやっても納得のいく泳ぎができないことが萩野を苦しめた。
2019年には深刻な状況に直面する。2月、出場した国内大会の400m個人メドレーで自己記録より17秒以上遅いタイムで予選を泳ぎ、決勝を棄権。日本選手権も欠場し、モチベーションの問題から休養することを発表した。泳ぐことそのものが当然のことではなくなっていた。
8月、ワールドカップ東京大会で復帰したが、その後も長く調子を取り戻すことはできなかった。
それでも、東京五輪を目指した。水泳から離れる時間で、泳ぐことの意味も捉え直していた。