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ぬけぬけ病、大ブレーキ、心の病「でも、もう吹っ切れました」 元駒大エース工藤有生が戦い続けた“苦悩の3年間”
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2021/05/12 11:03
元駒大エースでコニカミノルタ所属の工藤有生さん。今年4月に現役引退を発表した
実業団は、3年がひとつの節目と言われている。年々タイムを更新し、目に見える結果があれば問題はないが、成績が上がらず、成長の跡が見えないと肩を叩かれることになる。工藤は怪我の影響もあって、2年間で5レースしか出場できておらず、結果も出ていなかった。3年目のシーズンは、陸上人生を先に繋げるための勝負の年で、結果を出していく必要があった。唐津10マイルでようやく明るい兆しが見えてきたその矢先、コロナによって結果を出す舞台が奪われた。その精神的なショックは、察するに余りある。
そして、その不安は徐々に工藤の身体を蝕んでいく。
誕生日を祝ってくれても「ぜんぜん嬉しくなかった」
「それからは急にがんばれなくなって精神的にまいってしまいました。7月からは走ること自体が嫌いになって、食欲も落ちて、何もする気が起きなくなってしまったんです」
高校から陸上漬けの寮生活で、朝寝坊をほとんどしたことがなかったが、1週間のうちに3回も続けて寝坊をしてしまった。仕事も今まで問題なくこなせていた簡単な業務でミスを連発するようになり、大学時代の友人たちが誕生日を祝ってくれても、「ぜんぜん嬉しくなかった」という。
「そういう自分を見て、おかしいなと思い始めていた時でした。(寮の)隣の部屋の音が気になってしまって、思い切りドアを蹴って怒鳴り散らしてしまったんです。今までは我慢できていたことも我慢できなくなるまで神経がすり減っていると感じ、病院に行くことにしました」
病院で宣告された思わぬ一言。工藤の心は、ずっと悲鳴を上げていた。
「ただ疲れているだけかなと思っていたので、病気というのが正直理解できなかったです。でも、けっこう症状は深刻で、外に出る気が全く起きないので、ずっと部屋で天井を見つめているような日が続きました。寮のみんなとも関わりたくないし、話したくない。食事の時もみんなをあえて避けるように端に座って、背を向けるように食べていました」
1週間単位でカウンセリング主体の治療が始まった。最初は担当医と「何を話していいのか」分からず、「話をしたくない」日々がつづいた。練習や会社を休むことへの罪悪感も日増しに増えていった。何も手がつかず、どうしたらいいのか分からない。このまま消えてしまいたいと思うことさえあったという。