箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
ぬけぬけ病、大ブレーキ、心の病「でも、もう吹っ切れました」 元駒大エース工藤有生が戦い続けた“苦悩の3年間”
posted2021/05/12 11:03
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Yuki Suenaga
駒大エース・工藤有生。駅伝主将として迎えた最後の箱根駅伝で“ぬけぬけ病”を発症し、箱根で大ブレーキを経験した。それでも「精神的にしんどかった」出来事を乗り越えて、怪我と向き合い、実業団選手としてコニカミノルタで再起を誓った。
しかし、今年の4月に「現役引退」を発表。実業団3年目での決断だった。大学卒業から決断までの“苦悩の3年間”を振り返った(全2回の2回目/#1から続く)。
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治療、トレーニングの日々「なんで僕だけ」
駒澤大学を卒業し、工藤有生が次のステージとして選んだのがコニカミノルタだった。寮やトレーニング環境なども充実している実業団の強豪チーム。多くの選手が胸を躍らせて入社して、春のトラックシーズンを迎えるところだが、工藤のスケジュールにレースの予定が入ることはなかった。
「最初は試合に出ない方向で、怪我を治すことに専念することになりました」
福岡の治療院に出かけ、千葉にトレーニングしに行き、リハビリをする。練習はチームメイトと一緒に行えた。ただ、途中で練習をストップしたり、一緒に練習をしても自分の思うようなパフォーマンスを発揮できないことが多くストレスが溜まっていった。
「練習ができて良かったと思えばいいのに、動きが悪かったなぁとか、マイナスなことばかり考えていました。レースとかも見ないようにしていましたね。見たくないという方が正しいかもしれません。プライドもありましたし、なんで僕だけ……みんなは走れていいなっていう嫉妬もありました」
思うように走れないなかで、陸上に対するモチベーションを維持するのが難しかった。今できることをプラスに捉えて、早く治すために治療に専念すればいいのだが、いろんな情報が焦りを募らせ、ポジティブに物事を捉えることができなくなっていった。
「結果を求められるのが実業団だと思っていたので、結果も出さずに練習に参加して、給料をもらっているのが……。会社にも出社していたんですけど、すごく居心地の悪さを感じていました。チームのみんなは気遣ってくれて普通に接してくれたんですけど、だからこそ、結果を出したいとさらに強く思ってしまう。こうじゃない。もっとやらないとって自分を追い込んで、でも練習では思うように走れなくて……。もう、すべてが悪循環でしたね」
それでもチームメイトの支えやチームの理解もあって練習を継続し、工藤は少しずつ走れるようになっていった。