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「お前、バカか」から安打製造機へ… 内川聖一の“特異な技術”を支える恩師・杉村コーチの教え、そして再会 

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花田雪

花田雪Kiyomu Hanada

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photograph byNaoya Sanuki

posted2021/03/26 11:05

「お前、バカか」から安打製造機へ… 内川聖一の“特異な技術”を支える恩師・杉村コーチの教え、そして再会<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

内川の打撃技術はNPBだけでなくWBCの舞台でも鮮やかに輝いた

「お前みたいなタイプはフェアゾーンを90度フルに」

「お前みたいなタイプがプロで生き残るためには、フェアゾーンを90度フルに使う必要がある。それを意識して打ってみろ」

 フェアゾーンを90度フルに使う――。

 この意識は2008年以降、つねに内川の頭にある言葉のひとつだ。そのためには、それまで「前で打っていた」ポイントを、「懐まで引き付ける」必要がある。

 それまでの感覚とは、いわば真逆だ。

 アマチュア時代から、プロ7年目まで貫いてきた自身のスタイルを180度変えることは、決して容易いことではないはず……。しかし、内川の意識は違った。

「それまでにも、父親から同じようなアドバイスをもらったことがあったんです。ただ、その時は自分のスタイルで結果も出ていたので、別に変える必要がなかった。時を経て、改めて杉村さんから同じことを言われて『あぁ、あの時言われたのはこういう事だったのか』と、むしろ納得できたんです」

2008年というタイミングが噛み合ったんです

 内川の父・一寛さんは大分工業で監督を務め、高校時代には息子の聖一を「親子鷹」として指導。内川のバッティングスタイルの礎を築いたのも、間違いなく一寛さんだ。

「たとえば、プロ1年目で杉村さんと出会って、同じことを言われていても、聞き入れることは難しかったかもしれません。僕にとっては、2008年というタイミングが、バチっと噛み合ったんです」

「くすぶった状況」で出会った新たな指導者、提示された新たなスタイル。そこに、過去に父から言われたアドバイスが合致したことで、内川自身もすんなりとスタイルチェンジに取り組むことができた。

 そして同年、内川は前述の右打者史上最高打率.378を記録し、自身初となる首位打者のタイトルを獲得した。

 以降も内川は、スタイルの軸は変えずに、つねにブラッシュアップを繰り返してきた。

内川聖一“ならでは”の高度なテクニック

 そのすべてをここで伝えることはできないが、内川聖一"ならでは"の高度な技術・意識の一端を紹介したい。

【次ページ】 言語化するのが難しすぎる“特異な技術”とは

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