箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
2年連続“当日変更”で箱根駅伝を走れず…創価大主将・鈴木渓太が「全てやって、届かなかった」とき思ったこと
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by創価大学駅伝部
posted2021/03/06 11:03
創価大学駅伝部で1年間キャプテンを務めた鈴木渓太(右から2番目)。箱根駅伝の出走はかなわなかったがすでにその眼は卒業後を見据えている
駒大主将「小野寺君は心に傷を負ってしまうから」
そして、濱野のスタートを見届けると大手町に移動し、アンカーの小野寺の到着を待った。
9区を終えた時点でも創価大はトップ。フィニッシュ地点では、追う駒大の主将・神戸駿介から「創価、強えぇな」などと声をかけられたという。神戸もまた鈴木と同じように、主将を務めながらも最後の箱根路を駆けることができなかった1人だった。
10区終盤の逆転の場面も、2人は一緒にレースを見ていた。
「きっと小野寺君はすごく心に傷を負ってしまうから、しっかり声がけをしてあげてな。俺もそういうことがあったから」
神戸から、こんな言葉をかけられたという。
「彼も走れなくて悔しかったと思うんですけど、他人のことまで考えられる彼の人間性があったから、駒澤のキャプテンができたんだろうなと思いました。
なんとなく、彼とは似ている考え方をしているのかなと思いました。短い時間でしたが言葉をかわし、1年間キャプテンを務めた者同士、分かり合えた部分があったと感じました」
先頭でフィニッシュ地点に向かってくる駒大のユニフォームを確認すると、鈴木もまた神戸に「優勝おめでとう」と祝福の言葉をかけた。
「本気で取り組んで、それでも箱根は走れなかった」
鈴木が陸上を始めたのは小学2年生の時。15年に渡って競技に取り組んできたが、これで競技に区切りを付けることになる。夢の舞台を走れなかったことはもちろん悔しいが、陸上競技に対して全力を尽くしてきたからこそ、後悔はないと言い切ることができた。
「やれることは全てやって、本気で取り組んで、それでも届かなかった……。箱根は走れなかったんですけど、すごく良い4年間だったなと思います。次の糧にもなっていると思うので、今となっては全てが良い経験でした。本当に後悔はないですし、小学校の頃を含めても、この競技に出会えて良かったと心から思えます」
そんな鈴木のひたむきな姿勢が、チームメイトを勇気付けることも多かったのではないだろうか。走りで貢献することは叶わなくとも、鈴木は間違いなく創価大の大躍進の功労者の1人だっただろう。