箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
2年連続“当日変更”で箱根駅伝を走れず…創価大主将・鈴木渓太が「全てやって、届かなかった」とき思ったこと
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by創価大学駅伝部
posted2021/03/06 11:03
創価大学駅伝部で1年間キャプテンを務めた鈴木渓太(右から2番目)。箱根駅伝の出走はかなわなかったがすでにその眼は卒業後を見据えている
榎木監督が“主将”である鈴木にかけた言葉
そこからは箱根6区に照準を絞って競技に励んできた。
昨年の第96回大会は希望していた6区にエントリーされたが、当日変更で後輩に出番を明け渡した。それだけに、最後の箱根駅伝にかける思いは強かった。
大学最後の1年はチームの主将に選出された。昨年4月、5月の緊急事態宣言下はチームメイトの半数が帰省したが、鈴木は部の寮に残った。就職活動があったのも理由の1つだったが、主将としての決意の現れでもあった。
「榎木さんには“お前の競技力が上がることが一番だ”と言われていました。主将としての振る舞いに関してどうこう言われることはなく、主将という役職が重荷にならないように言葉をかけてくださっていました。それが僕にとってはありがたかったですね」
自信を持ってチームの先頭に立つことができるように
緊急事態宣言下では練習が制限されることもあったが、逆境のなかで鈴木は競技に打ち込み、ぐんぐん力をつけていった。
「7月にみんなが寮に帰ってきた時に、“変わったな”とか“頼りになる”みたいなことを言ってくれたんです。この期間で競技力がぐっと上がり、自分の中で競技に対する向き合い方が確立されました。榎木さんを信じてやっていけば強くなれるということを心から思っていて、それをチームメイトに伝えられるようになりました。僕自身、特に意識していたわけではないんですけど、自信をもってキャプテンをやれるようになっていたのかなと思います」
それまではどこか自信を持てずにいたこともあったが、競技力が伴ってきたことで自信を持ってチームの先頭に立つことができた。夏合宿でも、特に1次合宿では主力の多くがケガなどで戦列を離れていたが、鈴木は先頭で練習を引っ張った。