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【85歳&78歳】長嶋茂雄とアントニオ猪木の共通点は「誕生日」と「レコード未発売」<昭和歌謡とスポーツ選手> 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byNaoya Sanuki/Masahiko Ishii

posted2021/02/20 17:00

【85歳&78歳】長嶋茂雄とアントニオ猪木の共通点は「誕生日」と「レコード未発売」<昭和歌謡とスポーツ選手><Number Web> photograph by Naoya Sanuki/Masahiko Ishii

昭和の日本スポーツを代表する長嶋茂雄とアントニオ猪木。誕生日が同じなのも奇遇だが、この時代に珍しく2人とも歌声を残していない

バックコーラスに王貞治、星野仙一!?

 また球団OBが応援歌を歌ったところ大ヒットし、その後も歴代さまざまな歌手によって歌い継がれているのが、中日OB・板東英二が初代の昭和49年版を歌唱した中日ドラゴンズ応援歌『燃えよドラゴンズ!』だ。作詞作曲は翌年から放送開始する人気アニメ『タイムボカン』シリーズの主題歌、劇伴音楽で売れっ子作曲家となる山本正之。これまた忘れている人が多いが、この曲名自体が、当時大人気だったブルース・リー主演映画『燃えよドラゴン』のパロディーである。

『燃えよドラゴンズ!』が誕生し、中日が巨人のV10を阻止して、20年ぶりのリーグ優勝を果たした昭和49年秋といえば、長嶋引退が大ニュースとなったが、12月の有馬記念にて引退したのが競馬のハイセイコー。さすがに馬が歌うワケにはいかなかったが、中央競馬の全16戦でハイセイコーの手綱を取った増沢末夫騎手が引退記念盤『さらばハイセイコー』を熱唱。テレビの歌番組などでも増沢騎手が熱唱し、オリコンチャートで最高4位を記録。昭和50年度の年間売上げ枚数で37位を記録している。

 ソロで『燃えよドラゴンズ!』を堂々熱唱し、ヒットさせた板東英二のタレント性は今さら説明不要だが、バックコーラスとしての参加なら心配ご無用だったのか? 昭和51年にセントラル・リーグの発足25周年記念事業としてリリースされたセ・リーグ連盟歌『六つの星』、そしてセ・リーグの闘魂歌『明日に賭けろ』は、メインボーカルをプロの細川たかしに任せ、バックコーラスを王貞治(巨人)、山本浩二(広島)、田淵幸一(阪神)、星野仙一(中日)、平松政次(大洋)、松岡弘(ヤクルト)の各球団選抜メンバーが務める形でリリースされている。

 このレコード、連盟歌はド演歌調、闘魂歌は軍歌調なのはヨシとして、バックコーラスの音量……いや、音圧がもの凄く、応援団の宴会に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚える珍品である。そもそも「闘魂歌」ってなんだ?

デュエット曲でも猪木は「ファイト!」のみ

 スポーツ選手とその夫人によるデュエット曲では、ロッテ時代の落合博満がリリースした初シングル『サムライ街道』のカップリング曲『そんなふたりのラブソング』にて信子夫人とのデュエットを披露。

 アントニオ猪木も、昭和52年発売の入場テーマ曲『炎のファイター』B面にて、原曲はジョージ・ベンソンが歌唱している日本語版『いつも一緒に』(作詞・なかにし礼)を当時の夫人・倍賞美津子が歌唱しているが、猪木本人は入場曲に「ファイト!」と、かけ声のみで参加。頑なに歌声は披露していない。

 時代的にCDでのリリースだが、阪神の助っ人外国人、トーマス・オマリーが平成6年にリリースしたアルバム『オマリーのダイナミック・イングリッシュ』に収録された『オマリーの六甲おろし』は、あまりの破壊的歌唱が話題となり、現在も「歌ヘタ歌謡」などの特集でたびたび話題になる珍品だ。

 こういった特集の場合、必ずといって良いほどセットで取り上げられるのがプロレスラー・藤波辰巳(現・辰爾)が、昭和60年にリリースした『マッチョ・ドラゴン』なのだが、藤波の場合は、別にそういった意図でリリースしたワケではない……。

【次ページ】 57歳のミスターが披露した一瞬の歌声

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