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【85歳&78歳】長嶋茂雄とアントニオ猪木の共通点は「誕生日」と「レコード未発売」<昭和歌謡とスポーツ選手>
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byNaoya Sanuki/Masahiko Ishii
posted2021/02/20 17:00
昭和の日本スポーツを代表する長嶋茂雄とアントニオ猪木。誕生日が同じなのも奇遇だが、この時代に珍しく2人とも歌声を残していない
「力士は歌が上手い」の草分けは?
「スポーツ選手が出したレコード」というテーマになると、それだけで本が一冊、いや何冊も出せるほどの分量があるため、この場ではトピック的に代表的なモノだけ紹介してみたい。
今や「力士は歌が上手い」は常識だが、その草分けは第52代横綱・北の富士が大関時代の昭和42年にリリースした『ネオン無情』と言われる。当時、約50万枚を売り上げたそうだが、セールス的に最高の成功例としては累計130万枚もの売り上げを記録した増位山太志郎の『そんな女のひとりごと』(昭和52年・テイチク)にトドメをさす。翌昭和53年の「第11回日本有線大賞」では有線音楽賞とベストヒット賞を獲得というから凄い。
すでに昭和47年に歌手デビューを果たしていた増位山は昭和49年に3枚目のシングル『そんな夕子にほれました』で120万枚を売り上げ、スポーツ選手として初のミリオンヒットを達成。本職でも滅多にはいない計2回のミリオンヒットを出している。ちなみに忘れている人も多いが、『そんな夕子に~』の作詞者は、笑点でもよく“林家一門のゴッドマザー”とネタにされている海老名香葉子さん(初代林家三平夫人)だ。
その声量や美声(本人は「エロ声」と自称)で「和製シナトラ」とまで称される増位山は、ちょうど40年前(昭和56年3月)に現役引退。引退後の歌手活動にも期待が高まっていたが、昭和60年より日本相撲協会が現役力士や親方の歌手活動、CM出演などの副業を「原則禁止」にしてしまったため、無念にも歌手活動は中断……。規制緩和を経て相撲協会を定年退職し、平成25年からは歌手活動を本格的に再開している。力士歌謡では他にも琴風の『まわり道』(昭和57年)が26.6万枚を売り上げている。
大ヒットしたビューティ・ペア
昭和40年代のキックボクシングブームを牽引した沢村忠は、自らを主人公とした梶原一騎原作のアニメ『キックの鬼』(昭和45年・TBS系)の主題歌、エンディング曲を歌唱。これはプロモーション的にも「あり」な人選なのだが、ドラマ本編とは何ら関係ない(第6話にのみゲスト出演はしている)にも関わらず、『赤い秘密』(昭和60年・TBS系)の主題歌『サイレント・グッバイ~たとえ悲劇でも~』を歌唱していたデビル雅美(女子プロレス)の功績はもっと高く評価されて良い。
試合の合間にリングで歌声を披露する機会も多い女子プロレスの世界では、昭和51年にビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)がリリースした『かけめぐる青春』はミリオンこそ達しなかったものの、数十万枚をセールスする大ヒット。楽曲自体の知名度も高く、カバーしたアーティストも多いことから、年代的にビューティ・ペアの試合は見たことがなくても、『かけめぐる青春』は知っているという人は現在でも多い。