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ギグス、フィーゴ…サッカー界の「ウイング」は死んだのか 39歳“最後の生き残り”ホアキンに聞く「今はパサーの時代だが…」
posted2021/02/10 17:00
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph by
Getty Images
そのホアキン・サンチェスが1月末のリーガ第20節で1ゴール1アシストを記録。40歳を前に健在ぶりをあらためて示した。(初出:Sports Graphic Number 1011号『ホアキン・サンチェス、または最後のウインガーについて。』肩書などすべて当時)
「ウイング」は死んだのか
どれくらい前のことだろう。サイドを風のように走り抜ける選手たちがいた。
彼らは誰よりもスピードがあった。その顔は果敢に前を向いていて、1対1になれば迷うことなくドリブルをしかけ、敵を縦に抜き去っていった。それは彼らの生き様だった。
彼らは誰よりもアイデアがあった。頭には数多のフェイントが大事にしまわれていた。軽やかなステップ、あふれ出る技巧の数々。それは彼らの宝ものだった。
そして彼らは、誰よりも誇り高かった。専門職のプライドはピレネーの山々のように高く、与えられたその役割をひたすら愛した。ライン際の数メートル。そこは彼らの空間であり、彼らだけの世界だった。
いつしか、ウイングという言葉を聞かなくなった。
言語上は残ってはいる。イタリアで「Ala」という言葉は使うし、スペインにも「Extremo」という単語は存在する。英語の「Winger」も同じだ。しかしかつてサッカー界を席巻した、背中に羽をつけたかのような古き良きウイングは、もうほとんど目にしない。
怖いもの知らずのウイングたち。果敢なドリブルの裏には、ボールを失ってもかまわないという腹がまえがあった。頼れるストッパーが敵のカウンターを体ごと豪快に止めてくれる――そんな強い信頼関係があった。
ホアキン・サンチェス・ロドリゲスは、そんな時代を生きたウイングだった。
「子供の頃は闘牛士になりたかった」
ホアキンは1981年、アンダルシア州はカディス近郊に生を受けた。プエルト・デ・サンタマリアという村だ。大家族だった。8人兄弟の末っ子。辺りの他の家と同じように決して裕福ではなかったけれど、笑顔が絶えない南の家庭だった。