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ギグス、フィーゴ…サッカー界の「ウイング」は死んだのか 39歳“最後の生き残り”ホアキンに聞く「今はパサーの時代だが…」
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byGetty Images
posted2021/02/10 17:00
今年7月に40歳の誕生日を迎えるホアキン・サンチェス
「幼い頃はやっぱり派手なポジションが好きだった。点をとることが好きだったしそれで目立っていた。でも下部組織にいたある時、新しいポジションを試そうということになってね。それがウイングとの出会いだ」
1990年代のサッカー界はウイングで溢れていた。
ウイングはゴールキーパーやストライカーのような専門職で、手に職を持つ男たちのものだった。マルチロールがもてはやされる現代では考えられないことだ。
人々はライアン・ギグスの直線的なドリブルに、マルク・オーフェルマルスのターンに、パトリック・ベルガーの野性の突進に歓喜した。クロスの精度のみで世界的地位を確立したデイビッド・ベッカムのような、毛色の違う選手もいた。どのチームにも、サイド専門の勝負師がひとりはいたように思う。
さてホアキンの憧れはといえば、スペインで時代の寵児となっていたルイス・フィーゴだった。纏うユニフォームがバルセロナからレアル・マドリーのそれに変わっても、尊敬の眼差しは変わらなかった。
「フィーゴのプレーを見て、突破や走り方、ドリブル、センタリングをチェックした。自分自身に言い聞かせたんだ。落ち着いてよく見ろ、フィーゴから学ぶんだと」
フィーゴの緩急の変化をつけたドリブルは、重要なのはスピードだけではないということを印象付けた。自らのドリブルに取り入れ、練習で何度も試した。
日韓W杯“悲劇の記憶”
20歳でリーガデビューを果たし、ひたすら磨いてきたドリブルはスペイン全土に知れ渡ることになる。ベティスで共にプレーしたデニウソンのような、細かなテクニック満載のドリブルというわけではない。独特の姿勢でつっかけ、スピードに乗りつつ緩急を変えて相手の重心をずらす。それはまったく新しいドリブルだった。
ベティスの監督として若きホアキンを指導したセラ・フェレールはいう。
「特徴的な、彼だけのドリブルだった。それだけじゃなく攻撃のセンスもあった。当時のホアキンが見せていた輝かしい才能は、あの世代では抜きん出ていた」
アンダルシアにふと現れた大いなる才能を誰も放っておくわけがない。
20歳でスペイン代表デビューを果たすと、数カ月後には日韓ワールドカップに出場していた。
初めてのW杯で印象に残っているのは、がむしゃらな突破を見せたパフォーマンスに対する賛辞と、悲劇の記憶だ。