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ギグス、フィーゴ…サッカー界の「ウイング」は死んだのか 39歳“最後の生き残り”ホアキンに聞く「今はパサーの時代だが…」
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byGetty Images
posted2021/02/10 17:00
今年7月に40歳の誕生日を迎えるホアキン・サンチェス
少年には夢があった。闘牛士になることだ。南に生まれたスペインの男が人生で一度は夢見る職業だ。血を流す雄牛の充血した眼が真っ直ぐにこちらをみつめる。時を止める生死の戦いに憧れた。巨大な獣をひらりとかわす闘牛士の妖艶な動きを目に焼き付けた。何度も、何度も、舞踊にも似たその動きを繰り返した。
「幼い頃から闘牛はとても身近なものだった」
闘牛士を夢見ていた頃のことをホアキンは振り返る。
「子供の頃は闘牛士になりたかった。サッカー以上に好きだったから。家にあったバスタオルをカポテ(闘牛用マント)にみたてて、何時間も何時間も自宅で振り回していた。今でも得意なんだ。実際にフエンテ・レイとビニュエラスの町で闘牛をしたこともある。プロになった今は無理だけど、隠れてでも闘牛がしたいくらいだよ」
「闘牛なんかした日には首吊りだ」
少年は成長し、手に握ったカポテはやがて足元のボールに変わった。
ベティスの下部組織に入ったのは97年、16歳の時だ。彼が人生の大部分を捧げることになる生涯のクラブだ。
ベティスは真っ先に闘牛を禁じた。当然だろう。闘牛は危険を伴うスポーツであり、その種のスポーツは休暇中であってもしてはならないとたいてい契約書に記してある。当時のベティス会長、デ・ロペーラに闘牛がしたいと話したら「闘牛なんかした日には首吊りだ」と叱られたという。
「多くの人はスポーツの一種と思っているけれど、闘牛は芸術だ。世界一困難な職業だと思う。そしてサッカーにも芸術の要素がある。自分の想像力を人に認めてもらえるのは嬉しい」
ホアキンはサッカーにも芸術を追い求めた。闘牛場の中心で観客の視線を集める存在に憧れていたからだろうか。若い頃のポジションはストライカーだった。ゴールという最も注目される事象に魅せられた。
ギグス、フィーゴ…90年代のサッカー界はウイングで溢れていた
元来、センスがあったのだろう。尊敬する叔父のアドバイスも受けながらホアキンは順調に成長していく。