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「ネガティブな感情は自分に跳ね返る」川崎の名将・鬼木達が大切にする「本気の言葉」とは
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byGetty Images
posted2020/10/29 11:05
風間監督(当時=左)をヘッドコーチとして支え、2017年からその座を引き継いだ鬼木監督(撮影 2016年)
みんなが1つになる大切さも教えようとした
1つ悩みが去れば、1つ新しい悩みがやってくる。
スクールとアカデミーでは教え方が変わってくる。アカデミーはタレントを育てて1人でも多くトップチームに昇格させていくことが求められるからだ。
「うまい子もいれば、そうでもない子だっています。指導の基準をどこに合わせればいいのかとかいろいろと悩みましたね。でも……結局、そのときもその先も、答えらしい答えは自分のなかで出なかったんです。考えたのは、みんなをどんどんうまくしていきたい、と。多少、指導が厳しくなっても最終的にうまくなったら、それはみんなの喜びに変わるだろうって自分に言い聞かせたんです」(鬼木)
仏の顔も、鬼の顔も両方持ち合わせて子供たちに熱血指導した。選手時代と同様に、相手のハートに直接訴えかけるように。
負けるのは誰よりも嫌い。試合になれば勝利に向かって、みんなが1つになる大切さも教えようとした。
当時10歳の板倉滉が、感謝の手紙を読み上げた
わずか1年でU-18のコーチに就任することが決まる。
鬼木は今も「最後の練習」のことをよく覚えている。
いつものように始まり、いつものように終わった。子供たちから何かリアクションがあったわけでもない。感傷的な気分に浸ることもなく「何だかあっさりしているな」と、ピッチを引き上げようとしたそのときだった。
教えてきたU-12の子供たちが自分の前に集まってきた。
当時10歳の板倉滉(現在はフローニンゲン)が、感謝の手紙を読み上げた。
「子供たちにまんまとだまされたんですよ。板倉がまたズルい。アイツ、泣きながら読むんですよ。一緒にやれてよかった、楽しかったです、ユースで待っててくださいって。うれしかったですね。自分の教え方がいいのか、そうじゃないのかってなかなか分からないじゃないですか。一緒にやれてよかったって言ってくれたのは……もう感動でしたね」
気がつけば、板倉以上に号泣していた。
今もその手紙は、大切に保管しているという。