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“黒田・新井と若手のつなぎ役” なぜ41歳石原慶幸はカープの19年間「誰かの支え」であり続けたのか 

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前原淳

前原淳Jun Maehara

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photograph byKyodo News

posted2020/10/13 12:40

“黒田・新井と若手のつなぎ役” なぜ41歳石原慶幸はカープの19年間「誰かの支え」であり続けたのか<Number Web> photograph by Kyodo News

2018年は38歳8カ月の史上最年長で通算1000安打を達成した石原慶幸捕手。広島東洋カープ一筋の現役生活だった

 スタンドが満員になることも、優勝を狙えるだけの戦力がそろっているのも、当たり前じゃない。空席が目立つスタンド。シーズン中盤には首位の背中が遠く見えなくなっていた年もある。2007年には同じ野球観を持つ黒田博樹が、海外FA権を行使してメジャーリーグ・ドジャースへ移籍。新井貴浩はFA権で阪神へ移籍した。まだ中堅の立場であった石原の負担は増した。

 球界関係者が絶賛する巧みなインサイドワークとキャッチングは高い評価を受け、2009年WBCの日本代表に選出された。それでもチームが勝てないと、捕手は厳しい声も浴びせられる立場。広島でも、日本代表としても色々なものと戦ってきた。それでもFA権を取得した2010年オフ、悩み抜いた末に広島残留を決めた背景には、移籍した先輩たちからの「残った方がいい」という助言があったという。

 主役になれる黒田と新井が帰ってきた2015年は、彼らに遠慮していた選手たちと2人をつなぐ橋渡し役を担った。黒田や新井と食事に行くときは誰か選手を一緒に連れて行った。黒田が引退の花道を飾り、新井がMVPという主演を演じ切った2016年、見事に名脇役として感動物語を引き立てた石原には、助演男優賞とばかりに、自身初めてのベストナインとゴールデングラブ賞が贈られた。セ・リーグ野手では最年長での初受賞となるゴールデングラブ賞は、広島再建に尽力してきた月日の長さと重なって見えた。

主力ではなくなっても“相談の電話”は鳴り止まなかった

 2017年以降は正捕手の座を会沢に譲ったものの、巧みなインサイドワークは健在だった。2018年は38歳8カ月の史上最年長で通算1000安打を達成。2019年は一軍に定着した2003年以降では最少の31試合出場にとどまるも、開幕直後の負の連鎖を断ち切る決勝打を放つなど、ベテランの味を存分に発揮した。

 迎えた2020年シーズン。開幕から1カ月がたったばかりの7月中旬、石原は二軍にいた。新体制の下、開幕からの立場は第3の捕手。世代交代が推し進められる中、出場機会は激減し、途中出場1試合のみで、二軍降格を味わった。怪我などを除く“降格”はプロ1年目以来。8月に再昇格したものの、8月27日のDeNA戦で走塁中に左足を痛めたかのように大きく転倒。翌28日に2度目の選手登録抹消となった。

 一軍でともに戦い、行動で示し、言葉で伝えることはできなくなった。それでも苦戦が続く事情で、チームメイトから石原の携帯電話に着信が入るのは一度や二度ではない。チームの中で黒田や新井のような立場になったのかと感じていたが、本人は笑ってかぶりを振った。

【次ページ】 高卒新人を“鉄板ネタ”で応援する石原慶幸

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