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その日、内田は7回「鹿島」と言った。
最も印象に残ったCLの試合の後で。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2020/08/27 18:00
バレンシアを破り、長友佑都がいたインテルを破ってCLベスト4に躍進した時も、内田篤人の心には「鹿島」があった。
海外へ行く前に日本でできることがある。
CLという世界最高峰とJリーグを内田は「つないで」見せたのだ。
だから、引退会見でこう話したのもうなずける。
「海外に行きたいのはわかりますが、チームで何かやってから行けばいいのになと思います。それができないなら移籍金とか置いていけばいいのになって思います。間違ってますか? よく『海外に行きたいです!』って俺のところに話をしに来る選手もいますが、そんなに甘くないよっていう。行きたきゃ行きゃいいけど今すぐ。どうせすぐに帰ってくるんだろうなって思います」
海外の魅力はもちろんある。内田は誰よりもそれを知っている1人だ。
でも、日本で学べること、学ぶべきことはある。そして、やるべきことがある。
置かれた場所で花を咲かせられないものは、海外に場所を移したところで、大輪の花を咲かせることはできない。
そんな教訓を彼なりの表現で表わしていた。
人生で最も重要な試合の後にも。
思えば、現役時代で最も印象に残った試合として挙げた2010-11シーズンのCLのラウンド16、バレンシアとのセカンドレグ。あの試合の後にも、CLについて話していたはずが気がつけば鹿島について語っていた。
15分あまりの取材時間で、内田の口から「鹿島」というキーワードが出たのは7回。例えば、こんな感じで。
「『鹿島』なんかでも、1-0で勝つ試合が多いですけど、最後は守ります。でも、ある程度の時間はずっと攻めている。守りに入ったら、きついから。攻めて、攻めて、ジャブジャブで。相手が出てきたら、最後みたいにカウンター。うまくはまれば。今日ははまったんじゃないですか」
「『鹿島』のときなんかは、みんな(小笠原)満男さんとか監督がバランスをとってやってくれて、ゲームなんかでもやってくれますけど。こっちも個人個人、サッカーを知っている人が多いので。みんなで助け合いながらですから」
「頭が上がりません、ラウールさんには。『鹿島』のマルキ(マルキーニョス)とかは特にそうだったんですが、前の選手があれだけ走ってくれると、俺らも脚が動くというか。それがましてや、ラウールですから。まぁ人に刺激を受けながら、助けてもらいながら。またひとつ、ベスト8まで来れたので。またみんなで助け合いながら。もう1つ、2つ……」
「『鹿島』がなかったら、今の俺は考えられないし。現場の人だけじゃなくて、フロントだったり、そういうところが大事だなと。この前も大宮(アルディージャ)に引き分けたりしていたので、良い報告がみんなに届けば。『鹿島』のみなさんに、よろしくお伝えください!」
「本当にね、僕は恵まれていますよ。一緒に戦う集団……『鹿島』のときからそうですけど。その運は、僕、持ってますね。人を引き寄せる運は、かなり」
内田はいつも、自分の受けた恩をかみしめていた。