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その日、内田は7回「鹿島」と言った。
最も印象に残ったCLの試合の後で。

posted2020/08/27 18:00

 
その日、内田は7回「鹿島」と言った。最も印象に残ったCLの試合の後で。<Number Web> photograph by AFLO

バレンシアを破り、長友佑都がいたインテルを破ってCLベスト4に躍進した時も、内田篤人の心には「鹿島」があった。

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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 この2年半、内田篤人に関する原稿は書かないできた。それは鹿島アントラーズに戻ってからの彼を取材していないからだ。

 この5年間でカシマスタジアムでのホームゲームを取材した回数、1回。鹿島の練習場を訪れた回数の方がまだ多い。「今」を書く資格のない筆者にも、「過去」を記録することなら許されるだろうか。

「こっちに来て思ったこととかを毎日ノートに書いているわけでもないんだよね。書けばいいんだろうけど、俺はそういうタイプじゃない。(中略)その記事を書いてくれて、ネットで見られるようにしてくれる。最高じゃないですか! だから、あのときの俺はこう思っていたんだなと、振り返れるんですね」

 CLで日本人初のベスト4に進出した戦いを振り返るNumber779号のインタビューで、内田はそう語っていた。

 ならばドイツでのフットボーラーとしての生き様を記録するのは意味があることかもしれない。未来のサッカー界のために――。

ラウールを救った内田のファール。

「オレは、つなぎたい派だから」

 これはもちろん手ではなくて、パスのこと。自陣の深い位置で奪ったボールを簡単に蹴ることはなく、信頼するチームメイトに送る。そんな風に語った内田は、確かに「つなぐ」人だった。

 2010年、10月20日。CLのグループステージ第3節、ハポエル・テルアビブ戦。内田にとってCLの2試合目、初めてフル出場した試合でもある。

 内田が衝撃を受けた外国人選手として引退会見で名前を挙げた、ラウール、フンテラール、ファルファンが関与し、鹿島での経験とつながるシーンがあった。

 前半17分、右サイドの高い位置にいた内田は、ペナルティーエリアにさしかかるところにいるラウールの足下へパスを出した。ラウールはこれを受けるフリをして、スルーした。よりゴールに近いところに入っていたフンテラールがボールを受ければチャンスになると判断したからだ。

 しかし、マークについていた相手CBのダ・シルバはラウールの意図をよみきり、パスをカット。右MFのファルファンは内田よりもさらに高い位置に立っていた。シャルケの右サイドはがら空きだ。

 だから、ダ・シルバはそのままドリブルで持ち出し、カウンターを繰り出そうとした。すると、内田は抱きかかえるようにダ・シルバの身体を両腕でつかんだ。当然、ファールだ。抱きかかえたのは、そのファールの目的が相手を痛めつけることではなく、相手カウンターのチャンスの芽を摘むためだったからだ。

 ドイツでは、この種のファールは「戦術的ファール」と呼ばれる。実行できて、当たり前。適切に犯さなければ、試合後のミーティングで映像を示されながら、雷を落とされる。

 その内田の戦術的ファールは、ラウールの些細な判断ミスを帳消しにするプレーでもあった。

【次ページ】 ラウールは内田を信頼していた。

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