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その日、内田は7回「鹿島」と言った。
最も印象に残ったCLの試合の後で。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2020/08/27 18:00
バレンシアを破り、長友佑都がいたインテルを破ってCLベスト4に躍進した時も、内田篤人の心には「鹿島」があった。
内田篤人はいつでもごく自然に人を助ける。
「受賞すると関係者たちに恩を売られたりする」
Number1007号のインタビューで、小説家の村上春樹氏はノーベル賞について聞かれそう答えていた。
あいつは俺が育てた。
苦しいときに私が助けてあげました。
彼とは本当に仲良しで……。
どの世界にも、恩を売ろうとする者は多い。成功者にどうにかしてかかわりを持ちたいからだろう。
でも、内田の場合は正反対だ。
現在は浦和レッズ所属で、かつてケルンでプレーしていた長澤和輝は内田の引退に合わせてこんなツイートをした。
「ドイツに渡って言葉も分からず友達もいない、そんな精神的にキツイ中で初めての練習試合がシャルケだった。
無名の大卒選手である僕に試合後に連絡先を渡して、困ったらいつでも連絡して! と。嬉しかったし、どれだけ心強かったか
ありがとうございました。#内田篤人」
長澤本人が明かしているが、内田は試合終了後に長澤に話しかけられなかったことを悔いてか、筆者にこう頼み事をしてきた。
「試合が終わった直後、長澤クンとほとんど話せなくてさ。悪かったなぁ……。オレの連絡先を渡してきてもらえる? いつでも連絡してね、と伝えて」
相手が有名か無名かは関係ない。
他にも、渡独直後で初対面にもかかわらず内田が食事に誘った選手は複数いる。ドルトムントU-23に所属していた丸岡満などもそうだ。取材に応じるハードルがきわめて高い選手が、内田の引退に際してはきっちりコメントを発したりもしている。
長澤が「無名の大卒選手」だったかどうかはともかく、相手が有名か無名かにかぎらず、いつでも自然に人のために行動するのが内田だった。
高校時代の後輩の結婚式のために、シャルケの本拠地フェルティンス・アレーナが背景に映るところにまで行って、ビデオメッセージを撮影したこともある。
内田さんにお世話になりました。
内田さんに良くしてもらいました。
内田さんに希望をもらいました。
引退の発表をしてから、そんな声が鳴り止まない。