酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
PL、大阪桐蔭を上回る横綱は……。
戦後昭和&平成以降の甲子園番付。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2020/08/13 11:50
幕下上位までの「戦後昭和&平成の甲子園番付」。ぜひ別項で三段目以降の“完全版”も確認してほしい。
幕内から公立校の名前が消えた。
戦後昭和とはっきり違うのは、幕内から公立校の名前が消えたことだ。
公立の筆頭は、幕下3枚目の福井県立福井商業である。それより上はすべて私学。学区や都道府県に関係なく全国から選手を集め、全寮制、専用の練習施設など恵まれた環境で選手を育成する私学に、公立校は太刀打ちできなくなりつつある。
戦後昭和と平成以降のどちらにも幕内に名前があるのは、PL学園(大関→前頭10)、竜谷大平安(小結→前頭6)、天理(前頭3→前頭2)の3校のみ。こうしてみると、時代を超えて強豪校の地位を維持するのは非常に難しいのだ。
大関・大阪桐蔭の野球部は、戦後昭和の時代にはまだ存在していなかった。そしてPL学園野球部は2016年を最後に休部になっている。
つまり平成以降、甲子園の勢力図は大きく変わったのだ。
今夏の交流試合を甲子園の勝利数に加算するかどうかは議論が分かれるところだろうが、この番付を見るだけでも高校野球がここ数十年で大きく変貌したことがわかるのだ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。