酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
PL、大阪桐蔭を上回る横綱は……。
戦後昭和&平成以降の甲子園番付。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2020/08/13 11:50
幕下上位までの「戦後昭和&平成の甲子園番付」。ぜひ別項で三段目以降の“完全版”も確認してほしい。
戦前、戦後とずっと強い中京大中京。
横綱は、甲子園始まって以来の最多勝でもある中京大中京。戦前は中京商業学校という校名で夏3連覇も果たしたが、戦後も72勝29敗優勝5回という成績を残した。名捕手・木俣達彦、好投手・紀藤真琴などを輩出した。
大関のPL学園は、1955年創設。翌年野球部ができ、1962年に甲子園初出場という新興校だが、以後、68勝16敗という圧倒的な数字を残した。加藤秀司、西田真二、小早川毅彦、尾花高夫など毎年逸材を輩出したが、極めつけは言わずと知れたKKコンビだろう。 1983年入学の桑田真澄、清原和博は甲子園の投打の記録を塗り替えた。
関脇は高知商。市立高校ながら53勝29敗の好成績で、1980年春には全国制覇を成し遂げている。江本孟紀、鹿取義隆、中山裕章、岡林洋一など好投手を輩出。筆者は優勝監督の谷脇一夫さんに話を聞いたことがあるが「肩を守るためにブルペンでは100球以上投げさせなかった」と語っていた。
小結の龍谷大平安は「平安高校」の名称の時代が長かった。これも戦前からの強豪だが、こちらは近藤和彦、阪本敏三、衣笠祥雄などスピード感のある名選手を輩出した。42勝31敗。1951年、56年の夏に優勝している。
池田、広商、簑島などの地方公立校。
幕内の顔ぶれを見ると県岐阜商、池田、広島商、箕島と地方の公立高校が多いことがわかる。
戦前は、エリート中等学校生のスポーツだった野球だが、戦後は商業学校など各地の公立高校の野球部が強くなった。「おらが町の高校生が甲子園で活躍した」と春夏の甲子園が全国的な人気を博した一因となった。
1960年代後半から、大阪の「私学七強」など、都市部を中心に私立高校が台頭する。PL学園がその代表格だが、昭和の時代は私学と公立が覇を競った時代だったと言えよう。