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哲学を捨ててカネを取ったバルサ。
アルトゥール放出は暗黒の序章か。
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph byGetty Images
posted2020/07/05 11:40
かつてのシャビ的な役割を期待して獲得したはずのアルトゥール。彼を生かせぬまま放出したバルサ強化部の責任は重い。
プジョル、シャビ、イニエスタが去り。
歴代のキャプテンたち、カルレス・プジョル、シャビ、イニエスタが次々とチームを去り、権力の一極集中はここに極まった感があるが、ロッカールームを御しているのはもはやコーチングスタッフではなく、メッシとその派閥に与する選手たちだ。
バルトメウ会長でさえメッシの発言に右往左往するのだから、外様の新参者、とりわけ前線のアタッカーたちが“ボス”の顔色を窺い、プレーが委縮してしまうのも無理はない。
残念ながらアルトゥールにもそのきらいがあった。ボールを持てば常にメッシを探し、そこに無難なパスを届けるだけで満足して、チャレンジをしないのだ。
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おそらくペップも、ここまでメッシの全盛期が長く続くとは想像していなかったのかもしれない。もし、ネイマールがチームに留まり続けていれば、上手く権力の配分もできたのだろうが、彼も“王の権勢”が当分の間は衰えないと察し、カタルーニャの地を離れた。
一方でグリーズマンは、クラスの絶対的なリーダーとどう付き合っていくべきか、いまだ思案中の転校生のようだ。プライドを捨てて軍門に下るべきか、あるいは拳を交えてでも対等に渡り合うべきか。無条件でメッシに心酔するアンス・ファティのような無垢さもないから、その判断は難しい。
いずれにしても、本人が望むと望まざるとにかかわらず、1人の選手に権力が集中する状況は好ましいとは言えない。それは、たとえネイマールが戻ってきても、ラウタロ・マルティネスを獲得しても、メッシのパフォーマンスレベルが著しく低下しない限り、簡単には変わることはないだろう。
だからこそなおさら、バルサの哲学に唾を吐きかけるような今回のアルトゥールの放出劇が、残念でならないのだ。例えば数年後、シャビが監督として戻ってきたときのためにも、バルサイズムの香りは可能な限り残しておきたかった。
マドリーで輝くジダン流マネジメント。
シャビのようなカリスマが必要だと感じるのは、ジダン監督に率いられた現在のマドリーが、とても風通しが良さそうに見えるからだ。「王様は必要ない」と、どんなスターも特別扱いしないジダンのチームは、むしろクリスティアーノ・ロナウドがいた時代よりも統制が取れていて、選手たちものびのびとプレーしている。
常に論争の種となるギャレス・ベイルさえも、自然な形で戦力として取り込んでしまうジダンのマネジメント能力には頭が下がる。