パラリンピックPRESSBACK NUMBER
国枝慎吾のバックハンドに興奮した、
「ウィンブルドンの違和感」の正体。
posted2020/06/28 08:00
text by
吉村もとMoto Yoshimura
photograph by
Moto Yoshimura
何か違和感、それもいい意味での違和感。
国枝のバックハンドにそれを感じたのは、2017年ウィンブルドンの初戦だった。
ウィンブルドンのコートは芝生だ。車いすの部は大会後半に行われるので、芝が荒れて地面が見え始めるころに初戦を迎える。違和感について最初は芝生の影響かもしれないと思ったが、何かが違う。
テニスのフォトポジションはそう変わらないので、何度も何度もこの角度から撮影してきたはずだ。なのに、体の伸び方、勢い、ラケットの使い方……。“何か”が違った。はじめて撮影したアテネパラリンピックから10数年、彼のバックハンドにあんなに興奮したのは初めてだった。
国枝慎吾は言わずとしれた世界的な車いすテニスプレーヤーの1人であり、パラスポーツの魅力を長年にわたって私たちに見せつけてくれている選手だ。バックハンドとチェアワークを武器に、世界のトップを走ってきた。
パラリンピック初出場となった2004年のアテネ大会でダブルス優勝、北京、ロンドン大会ではシングルス連覇を達成。26度のグランドスラム優勝を誇り、2015年は5回目の年間グランドスラムを達成している。そして3連覇を期待されていたのが2016年のリオ大会だった。
しかし、結果は準々決勝で敗退。右肘の痛みは限界に達していた。
国枝の代名詞「バックハンド」。
その昔、車いすテニスのバックハンドはスライスショットが多かった。スピードはないが、滞空時間が長く弾まない球だ。車いすテニスでは片手にラケットを持ちながら瞬時に車いす操作を行うため、地面からの反発力も利用できず、バックハンドのトップスピンは不可能だと長らく思われていた。
ところが現在、世界の男子のトッププレーヤーたちはトップスピンのバックハンドを打っている。ボールにスピードが出て、バウンド後に伸びるため、トップスピンは攻撃的な武器になる。そのバックハンドを最初に自分のものにしたのが、北京パラリンピック前の国枝だった。
スライスからトップスピンのバックハンドが主流になったことで、車いすテニスでは格段にレベルの高い、攻撃的で魅力的な戦いが繰り広げられるになった。しかし国枝の代名詞である「バックハンドのダウン・ザ・ライン」の負担は、肘に蓄積していた。