マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
プロ野球と観客についての思い出話。
後楽園球場がガラガラだった頃。
posted2020/06/25 07:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
延期になっていたプロ野球ペナントレースが19日、とうとうスタートした。
ここから11月上旬に向けて、「6勤1休」のペースで各チーム120試合。
梅雨場にスタートして、しばらくすると炎暑の夏場を迎えることを考えると、かなり過酷なスケジュールの「2020年」が始まった。
当面、スタンドは「無観客」で行われるが、開幕戦のスタンドは、シートに応援メッセージを施したり、シーズン開始を祝う配慮がなされていたが、すでに3月のオープン戦や、再開された練習試合の実況映像で、無人のスタンドを背景に試合を進める情景をテレビで何度も見ていて慣れてしまったせいか、そこまでの「違和感」は感じなかったものだ。
無人のスタンドを見ていて思い出すのが、1970年代後半ごろの「後楽園球場」のナイターの風景だ。
当時、今の東京ドームは「後楽園球場」と称して、ちょうど今の東京ドームから屋根をすっぽり外したような格好の球場だった。
内野スタンドには、今と同じような雄大な「2階席」がライトポール、レフトポールまで巡らされて、グラウンドのサイズは普通でも、下から見上げるスタンド、通称「ジャンボスタンド」の雄姿は、実に壮大なものだった。
当時のビール売り子は男社会だった。
もちろん、フランチャイズの「読売ジャイアンツ」が試合をする時の大観客に備えてのデカさだったと思うが、当時は、「日本ハム」もフランチャイズにしており、こちらの試合の時は、残念ながら2階のジャンボスタンドの人影はまばら……というさみしいお客さんの入りの時がほとんどだった。
私は当時、その後楽園球場で、ビールの売り子のアルバイトをしていた。
高校3年の夏、最後の甲子園予選に「東京」のベスト8になり損ねて敗れ、そのすぐ後から始めて、大学の時も3、4年の時ほぼ春から秋まで、スタンドを歩き回ってはビールを売っていた。
今でこそ、プロ野球ではどこの球場でも、かわいいお嬢さんたちが背中にビールのタンクを背負い、愛嬌を振りまきながら売り歩いているが、当時は100%の男社会。高校生、大学生の元気なおにいさんたちが、お腹の前に鉄板製のケースを下げて、瓶ビールの「小瓶」を売っていたものだ。