“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER

J1仙台内定の大型DFアピアタウィア久。
急成長の裏にCB転向と母のサポート。

posted2020/06/07 11:50

 
J1仙台内定の大型DFアピアタウィア久。急成長の裏にCB転向と母のサポート。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

J1仙台への来季加入が決まった大型DFアピアタウィア久(流経大4年)。2018年には、自身初となる世代別代表にも選出された。

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by

AFP/AFLO

 高校3年秋までレギュラーになったことは1度もない。もちろん、県選抜に選ばれた経験もない。そんな青年が強豪大学への進学を掴み取り、そしてその3年後にはJリーガーになった。

 今年の3月、流通経済大学DFアピアタウィア久(4年)は、J1ベガルタ仙台への来季加入が内定した。191cmという大きな体躯ながら、抜群の瞬発力とスピードを誇り、鋭い寄せと長い足を駆使してボールをからめ取る守備が魅力の大型CBだ。だが、その武器が日の目を見るまでは相当な時間がかかった。

「中学時代は怪我を繰り返して、ずっとトップで試合に絡めませんでした」

 中学時代に所属をしていた愛知FC U-15では万年Bチームで過ごした。愛知県1部リーグに所属するAチームとは違い、アピアタウィアはその下のカテゴリーでプレー。最後の高円宮杯全日本ユース(U-15)愛知県大会では、同級生の大半がベンチ入りしたが、彼の出番はやってこなかった。

1年半で27cmも伸びた身長。

 中学3年間で彼を悩ませたのは成長痛だった。中学2年の春、彼の身長は158cmだったが、ここから急激に身長は伸び、中学を卒業するころには185cmにまで達していた。1年半で実に27cmも伸びたことで、彼の膝は常に悲鳴を上げ、またプレーする感覚も大きく変化した。

「身長が伸びるにつれて、どんどん自分の武器だと思っていたスピードが奪われている感覚でした。技術はなかった分、すばしっこさで誤魔化していたけど、だんだん足の回転率が下がるというか、感覚に身体がついていかない。いつもだったら追いつけるボールに追いつけなかったり、競走した時に勝っていた人に負けるようになって、本当にショックでした。焦って走りや筋トレをやろうとしても膝に激痛が走って……」

 急激な成長に伴う身体操作の異常は、長身選手の話としてよく耳にする。アピアタウィアもまた、自分ではどうにもできない状況に頭を悩ませた。

「小さい頃からプロサッカー選手になるのが夢だったので、ここで諦めたくないという思いがあったけど、何をやってもうまくいかない。それに僕はハーフなのでどうしても目立ってしまうんです。正直、ずっと僕は目立ちたくなかった。県2部の試合でも相手チームの選手に『こいつ、見た目だけだぞ』と言われて傷ついたこともあった。もうサッカーをやりたくない気持ちと、諦めずにプロを目指す気持ちがごちゃまぜになっていましたね」

 身体の激的な変化、そして自らのルーツに葛藤した少年時代。そんな彼を支えたのは、心の中に浮かぶ母の笑顔だった。

【次ページ】 好奇の目から守ってくれた母。

1 2 3 4 NEXT
#アピアタウィア久
#東邦高校
#流通経済大学
#中野雄二
#大平正軌
#ベガルタ仙台

Jリーグの前後の記事

ページトップ