水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
私のJ最強クラブ。磐田のN-BOXと
ドゥンガの遺産、現強豪との相似。
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/20 20:00
名波浩が中央に君臨した「N-BOX」。当時の磐田は日本サッカー史上屈指のロマンチックかつ“勝てるチーム”だった。
名波とともに藤田が生きていた。
よく「名波なしでは成立しない」と語られることが多い「N-BOX」ですが、個人的にはこのシステムでは俊哉の得点力がとても魅力的で、頭の良さも存分に生かされていました。
強烈なストライカーが2人もいながら、俊哉は’01年と’02年ともに2桁得点。’01年にはJリーグMVPにも輝きました。ボールを受ける位置がいいし、中盤から飛び出すタイミングも絶妙だったんです。
守備ではシステムの構造上、当然サイドにスペースが生まれる。でも、そもそもそこを使わせないという意図があったように思います。
前線からの連動した守備で、片方のサイドでボールを奪い切ってしまう。どこでボールを奪うかがチームの中で明確なので、たとえサイドチェンジされても、DFラインには足の速い鈴木らが構えており、さらにボランチのハットや福西らも素早くカバーに入る。
各選手を活かすための「配置」。
戦術というよりは、選手の能力を最大限に活かせるポジションに「配置」したと言った方がしっくりくるでしょう。プレスとボールポゼッションの両方を実現した陣形は、今で言うと、風間八宏が掲げたサッカーに近いものがあるのかもしれません。怪我で誰かを欠いた時は躊躇なくシステムを従来の3-5-2に戻すこともありましたから。
とはいえ、「N-BOX」に対して当初は選手たち自身も戸惑いがあったように感じます。2001年にリーグタイトルを逃しているとはいえ、優勝を知るメンバーからすれば、「なんでこんなのやるの?」と半信半疑になるのも無理はありません。解説者としても、N-BOX前のジュビロのサッカーに穴を見つけるのが大変なほど完璧でした。
それでも鈴木監督には「彼らなら、さらにおもしろいサッカーができる」という確信に近いものがあったのでしょう。鈴木監督は選手と近い距離で接するタイプだった故に、活発な意見も飛び交ったようですが(笑)、当時コーチの柳下(正明)さんが間に入ったこともとても大きかったと聞いたことがあります。