水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
私のJ最強クラブ。磐田のN-BOXと
ドゥンガの遺産、現強豪との相似。
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/20 20:00
名波浩が中央に君臨した「N-BOX」。当時の磐田は日本サッカー史上屈指のロマンチックかつ“勝てるチーム”だった。
ドゥンガが残した偉大な財産。
そして2002年シーズン、高原が初の得点王になるなど、無類の得点力を呼び込んだN-BOXはJ1全試合で得点する記録を打ち立て、勝ち点も2位に15点差をつける「71」。まさに完全優勝でした。
「N-BOX」を実現する高い個人戦術の基盤には、ある選手の貢献があったと私は思っています。それは誰あろう、ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガでした。
1995年、テクニックに優れる有望な選手が集まるジュビロに加入した闘将は、セレソンで培った「勝つために何が必要なのか」を植えつけていきました。ドゥンガが多大な貢献をした1997年のJリーグ初優勝は、ジュビロの黄金期到来を予感させるシーズンでした。
うまさだけではないメンタルが土台に。
当時の監督は、のちにブラジル代表やポルトガル代表監督を務めた名将フェリペ・スコラーリ。この事実を見るだけでもジュビロの“本気度”は伝わりますが、彼はモチベーション術や戦術を用いて「チームを勝たせる監督」です。その反面、ドゥンガは球際の激しさ、それぞれの役割を全うすることの大切さを伝える「ピッチ上の監督」でした。
ボランチの位置でパートナーを組んだ若き日の福西崇史が怒られる映像がたくさん使われましたよね。本人はいい思い出ではないかもしれませんが(笑)。
1998年をもってドゥンガはチームを去りますが、うまさだけではない、戦う術やメンタルを教え込まれた選手たちが、その後のタイトル獲得に大きく貢献したことはまぎれもない事実。そして彼らが脂の乗る年齢で迎えたのが2000年代前半となるわけです。
ドゥンガらのアシストによって築かれた土台、つまりピッチ内で優れた状況判断ができるスペシャルなメンバーなしでは「N-BOX」は実現しなかったと思います。
個を昇華して、チームに還元する。まさに理想に近いチームを作っていたのが当時のジュビロ磐田でした。