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マンUの惨状を見て思い出す6人。
ファギーの雛鳥たちがいれば……。
text by
粕谷秀樹Hideki Kasuya
photograph byGetty Images
posted2020/05/12 11:00
ファーガソン監督のもとで育まれたベッカム(右端)やギグス(左から3人目)らの雛鳥たち。彼らこそ“赤い悪魔”復権に必要な存在のはずだが……。
日々鍛錬し、伝説となったギグス。
ギグスは飛び切りずば抜けたウイングだった。超絶技巧の持ち主ではなかったものの、間合いの測り方が絶妙で、緩急のリズムを駆使しながらマーカーをあっさりかわす。足下にボールが吸い付いたドリブルは流麗、かつスピードにあふれ、この男を止める手段はイエローカード覚悟のファウルしかなかった。
それでもギグスは倒れない。最後の手段に及ぶマーカーを無力にする柔軟で強靭な足腰を、日常のトレーニングで装備していたのである。晩年はヨガを採り入れ、コンディショニングに余念がなかった。
彼もまた、メディアに追われることを嫌がった。雛鳥のなかでは最も早い'91年3月、17歳でデビュー。あっという間に“ジョージ・ベスト二世”のニックネームを頂戴して注目の的になる。
しかし内向的な性格で、試合後はメディアを避けていた。インタビューに時間を割かれることを嫌い、クールダウンを優先。70kgにも満たない体重で、大過なく現役をまっとうできたのは、自分の肉体と日々会話していたからだ。
ベッカムの美貌に隠された努力。
5人のライバルとともに、ベッカムも日々の訓練によって世界一の精度をその右足にまとった。
プレミアリーグが練習をある程度公開していた当時、筆者は強烈なシーンを目撃したことがある。逆サイドに等間隔で並べられた7~8本(だったと記憶している)のコーンに、ベッカムのキックが次々に命中していく。70mに及ぶロングパスを連続で決めるなんて、信じられない光景だった。しかも居残り練習で……。
人を見た目で判断してはいけない。ベッカムはみずからの努力で確固たる地位を築いた。
その美貌ばかりが注目されたが、華麗なピンポイントクロスがユナイテッドに数多くのタイトルをもたらしたことは事実である。1998-99シーズンのトレブルも、彼の右足が何度も生んだ貴重なゴールが引き金となっている。
あのとき、なぜバロンドールを獲れなかったのか。投票権を持つ者がパフォーマンスだけを正当に評価していれば、ヨーロッパ最優秀選手はベッカムのものだったはずだ。