フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アフガン出身、父暗殺、そして医者に。
偉大な女性サッカー選手の数奇な人生。
posted2020/05/12 19:00
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph by
Charlotte Robin/L'Equipe
少々前になるが、『フランス・フットボール』誌(3月3日発売号)は3月8日の国際婦人デーを記念して「100%女性」特集号を発行している。ラファエル・バランやローター・マテウス、ウナイ・エメリ、ディディエ・デシャンら著名人の女子サッカーへのコメント、ジャンミシェル・オラス・リヨン会長のインタビュー、サラ・ブハディとアントニー・ロペというリヨンの男女ゴールキーパーの対談などに混じって、フランク・シモン記者がレポートしているのがナディア・ナディムである。
パリ・サンジェルマン(PSG)で背番号10を背負うナディムは、デンマーク代表で93試合出場(33得点)。EUROも3度本大会に出場し、2013年は準決勝、2017年は決勝に進んでいる。32歳になった今も、ヨーロッパ最高クラスのひとりである。
だが、今日に至るまでの彼女の運命は、決して平たんではなかった。そもそもアフガニスタンで生を受けた少女が幼いころからボールを蹴り始め、タリバンに父親が暗殺された後に移り住んだデンマークでプロになってからも、医学の勉強を続けて外科医を目指していることなど考えられるだろうか。しかも女性や被差別者の権利拡大のためのボランティア活動も継続的におこないながら。
シモン記者が描くのは、そんなナディムの過去・現在・未来である。
監修:田村修一
9つの言語を話すサッカー選手。
12歳で家族と共にアフガニスタンを逃れてデンマークに移住した少女は、アメリカ、イングランドでプレーした後に、2019年1月にパリ・サンジェルマンとプロ契約を結んだ。ただ、それとは別に、民間の非営利組織で活動を続け、同時に医学の勉強を続けて外科医への道を進もうとしているのだった。
ナディア・ナディムはパリで心身ともに寛ぎ、幸福な生活を送っていると感じている
「実際にデンマークの家族――母と姉妹たちだけど――が暮らす実家とほとんど変わりがない。ここでも周りの人たちが、もうひとつの家族のような雰囲気を作り出してくれるから」
アメリカ(スカイブルーFCとポートランド・ソーンズFC)とイングランド(マンチェスター・シティ)で3年を過ごした後、PSGに移籍して1年が過ぎた。アフガニスタンで生まれ、デンマーク国籍を持つナディムは、9つの異なる言語を理解し話すことができる。すべては家族の穏やかな生活が脅かされたカブールから始まったのだった。
彼女に最初のサッカーボールを与えたのは、アフガン国軍の将軍であった父親のラバニであった。
「私はまだ6歳だった。父が私と姉妹たちにリフティングを教えてくれた」