話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
小野、高原、稲本を撮り続けた男。
フジテレビ能智氏が捧げた19年間。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byBS FUJI
posted2020/04/29 11:50
長い時間を共に過ごしてきた同年代ならではの絆が、3人の間にはあるのだ。
2001年夏、3人は海外へ移籍した。
能智氏が3人を本格的に取材し始めたのは2001年秋である。その夏に、小野がフェイエノールト、稲本はアーセナル、高原はボカ・ジュニオルスに移籍した。その当時、能智氏は高原とは少しだけ交流があったが、小野と稲本はプライベートな話を聞けるような関係ではなかった。
――3人の初めての取材は?
「シンジは、最初はレッズで一緒にやっていた水内(猛・解説者)さんにサポートしてもらいました。イナは当時、取材をほとんど受けていない時期で、取材嫌いだということを聞いていたので、『あぁーやり辛いなぁ』と緊張していましたね。でも、実際に会ってみると明るい性格で、大阪風のノリ突っ込みで自分から話をしてくれたので、一番楽な取材対象でした。
タカは人見知り、気分屋でもあるので、声をかけるタイミングが本当に難しかった。ある意味、取材で一番気をつかったかな。FWだから点取れているかどうかですごく気分が変わるんですよ。だから、(当時の所属先の)ドイツに取材に行った時は、点取ってくれっていつも願っていました」
自費で取材し、年末に放送枠を交渉。
――どのくらいのスパンで取材をしていたのですか。
「エピソード1は、アルゼンチンのタカ、オランダのシンジ、イギリスのイナとそれぞれ1週間ずつ試合から試合の間に取材をして回るみたいな感じです。エピソード2以降は、カメラもインタビューも自分1人。マイカメラを持って自費で欧州に行って見切り発車で撮影を進めていました。
毎年11月ぐらいに、『今年もこのくらい撮影高があるので放送枠をください。お願いします』と社内でプレゼン交渉して放映日が決まり、予算をもらって11月、12月にまとめて話を聞きに欧州に行っていました」
――自費取材もあったんですか。
「そうです(苦笑)。シーズンが始まってから年に2、3回は自費で行っていました。最終章でイナとタカが試合後に食事しているシーンを使いましたけど、あれは2004年3月のシンガポール戦(ドイツワールドカップ予選)で会社を休んで、完全に自費取材だったので印象深いですね。
最初は、年末に1年分まとめて話を聞けばいいやって思っていたんですけど、それじゃ作品として物足りないことに気がついて……。やはり、現場に行って、その瞬間、瞬間にリアルでホットな本音のコメントを取っていないと本当のドキュメンタリーじゃないし、面白くない。それに僕は、この番組のイメージを『北の国から』に重ねていたんです」