話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
小野、高原、稲本を撮り続けた男。
フジテレビ能智氏が捧げた19年間。
posted2020/04/29 11:50
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
BS FUJI
3月29日「ワールドカップをめぐる冒険~小野、高原、稲本~黄金世代に居場所はあるのか」がBSフジで放映された。小野伸二、高原直泰、稲本潤一の黄金世代3人を追ったドキュメンタリー番組である。
2002年の正月にエピソード1が放送され、2007年に6回目を終えた後、約13年間の長い沈黙を経て、今年がエピソード7となる最終章であった。
そのスタートから全作品を制作したのが、能智大介氏(現フジテレビネットワーク局番組推進部)である。『やり切りました』と笑顔を見せる能智氏に、18年間の歴史を紡いだ番組について、そして彼ら3人をめぐる「冒険」について語ってもらった。
2002年、ワールドカップがやってきた。
――まず、この番組をスタートしたキッカケを教えてください。
「2002年に日韓ワールドカップがやって来る。日本はホスト国であり、それをフジテレビがどう演出するのか、それが課題でした。すでに「すぽると!マンデーフットボール」は立ち上げていたけれど、せっかくロシア戦中継もあるので、もっとフジテレビ色を付けたい。盛り上げたいと思っていました。
その頃、トルシエジャパンの中心はヒデ(中田英寿)でした。彼とは1998年のペルージャ移籍の頃から付き合いはありましたが、基本的には取材を受けないスタンスでした。どうしようかと考えた時、ヒデとピッチで共演する若い世代がいい。ちょうどその頃、トルシエがシンジら3人をA代表で起用し、彼らが主軸になってきていたんです。
3人は’99年のナイジェリアワールドユースで準優勝するなど世界と堂々と戦っていたし、その時に少し取材をしていました。よく調べていくとU-14のブラジル遠征あたりからずっと一緒に世代別の代表に呼ばれている。世界に飛び出した海外移籍のタイミングも同じ。仲も良いので、ドキュメンタリーとしてストーリーを紡ぎやすい。そういう理由で彼ら3人を軸に2002年日韓ワールドカップをデザインしていこうと決めたのです」
――冒険というタイトルは。
「最初は”寵児”というタイトルでやろうかってプロデューサーに言われたんですが、この漢字って読めない人もいるじゃないですか(笑)。ワールドカップを目指す選手の番組だから、『ワールドカップをめぐる冒険』と分かりやすくシンプルにしました」