話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
小野、高原、稲本を撮り続けた男。
フジテレビ能智氏が捧げた19年間。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byBS FUJI
posted2020/04/29 11:50
長い時間を共に過ごしてきた同年代ならではの絆が、3人の間にはあるのだ。
代表から外れた高原に……。
――ドラマ『北の国から』ですか。
「あのドラマのように、3人の成長の過程をずっと追っていくイメージを持っていたんですよ。あれをノンフィクションで作る。そういうのに挑戦したいなって思っていて……。
もともとは2002年の1回だけで番組は終わる予定だったんです。2002年のワールドカップでイナが活躍して、シンジは力を出し切れず、タカはエコノミー症候群で出られなかった。明暗が分かれた3人にとって、2006年ドイツワールドカップが集大成になる。そこまで3者3様の人生を追いかけると面白そうだなって。そうして、独断で2007年まで続けていったんです」
――6回の中で一番、キツいなと感じた取材は。
「2002年、日本代表メンバーからタカがエコノミー症候群で外れたんですが、あのシーズンの終わり、車の中で代表から落選したことについて初めて聞いたんです。本人にとっては非常に悔しい出来事だし、触れられたくないことかもしれない。でも、触れないわけにはいかない。
その件について、どのように聞きだせばいいのか。しかめ面で来たらキツイなぁって思って緊張していたんですが、その時、ちょうどジュビロが優勝してタカは得点王、MVPで機嫌が良かったので、漁夫の利で聞きました(笑)」
高原の2006年への覚悟を感じた。
番組には、その車中でのインタビューシーンとともに高原が2002年日韓ワールドカップのロシア戦の放送にゲスト出演をしているシーンがあった。この出演のオファーを出したのが能智氏だった。
日本代表のメンバー発表があった日、高原は都内のホテルにおり、能智氏はマネジメント会社の社長とともに訪れた。高原は別室のベッドルームで横になりながら「日本代表メンバーが決まりました」というニュースを見ていた。その時、能智氏は「今回は残念だったけど、ロシア戦のゲスト解説に出て、自分は元気ですって日本のサッカーファンにメッセージを伝えるというのはどうかな」と、声をかけた。
――高原の反応は?
「最初、シーンとして何の反応もなかったんですよ。しばらく沈黙がつづいて、『なんで今、そんなこと言うんですか』ってキレられたらどうしようと思ってドキドキしていたんです。そうしたら、タカはこっちを向かずに背中越しに『わかりました。やります』って言ってくれて……。
すごく嬉しかったし、タカの2006年に向けての覚悟を感じることができました。この時、タカとの信頼関係も少しは築けたかなと思います。多少突っ込んでいっても大丈夫だ、と思えるようになりましたね」