話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
小野、高原、稲本を撮り続けた男。
フジテレビ能智氏が捧げた19年間。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byBS FUJI
posted2020/04/29 11:50
長い時間を共に過ごしてきた同年代ならではの絆が、3人の間にはあるのだ。
引退後の中田をドバイで捕まえた。
2007年、ドイツワールドカップのことを含めたエピソード6を放送し、冒険は長い休みに入っていく。能智氏もスポーツ番組制作の現場を離れていった。
時間が流れ、2010年南アフリカワールドカップでは黄金世代の遠藤保仁が活躍し、稲本は川口能活とともに若い選手のまとめ役としての役割を果たした。日本サッカー界は新たなスター選手が誕生するなど世代交代が活発になり、3人の存在感も変化していった。
――2007年以降、違う選手で番組を作ろうと考えたことはなかったですか。
「最初にやりたいと思っていたヒデは、ドバイの砂漠で捕まえて、引退後初めてのロングインタビュー番組をLIVEという形で手掛け、彼のサッカー人生の最終章をつくることができました。本田圭佑と家長昭博という同じ日に産まれた2人には興味がありましたね。僕も誕生日が一緒なので(笑)。
本田にはスター性があったし、言葉も強く、有言実行。モスクワからACミランの10番背負うとかストーリーも面白いかなって思ったけど、僕は動かなかった。僕は『めぐる冒険』の看板を使って会社の後輩達が番組を作ることに期待していました。例えば、柴崎(岳)と武藤(嘉紀)、宇佐美(貴史)の同い年の3人とか。青森の田舎から飛び出した天才・柴崎と東京育ちのお坊ちゃまの武藤、ユース育ちで世代のエースを張っていた宇佐美は皆個性があるし、『面白いかもよ』と後輩に話をしたけど、形にする人はいなかったですね」
3人のサッカー人生を「看取る」自負。
2019年、能智氏は「ワールドカップをめぐる冒険」の最終章を作るべく動き出す。13年もの雌伏の時を経て、あの時のように単独での取材がスタートした。
――なぜ、13年ぶりに番組をやろうと考えたのですか?
「もともと3人の最終章は、絶対にどこかで作ろうと思っていたんです。でも、自分の年齢や会社での立場などがあり、なかなかタイミングがなくて……。昨年の1月にイナと食事をしていたんですが、札幌を退団し、J3の相模原からのオファーに悩んでいた。それを聞いた時、このまま終わっていいのか? と話をしました。
それからシーズンが始まって、怪我して出られなくなって、このまま終わってしまうんじゃないかって思ったんですよ。その時、ここまで3人を追いかけてきたけど彼らのサッカー人生の最後を看取るのは自分の仕事じゃないか、自分にしか出来ない仕事じゃないか? と勝手に思い込んでしまって(笑)。もし、家族のように仲の良い友達の1人が引退を決意した時にあとの2人がどういう思いを持って、どんな声をかけるのか。それを最後に描いていきたいって思ったんです。
それでまず、7月に川崎とチェルシーの試合の解説でスタジアムを訪れていたイナに『めぐる冒険をやりたいけど』と話をしてOKをもらい、タカは遠征先の福岡、シンジは札幌にそれぞれ会いに行き、1カ月かけて3人に了承してもらって8月から取材をスタートしました。もちろん自費です(苦笑)」
能智氏には、もうひとつ最終章を作るキッカケがあったという。昨年、仙台放送のディレクターだった友人が交通事故で亡くなった。大きなショックを受けたのと同時に、死ぬ前に自分がやり残したことは何だろうと考えるとめぐる冒険の最終章を作っていないことに気がついた。友人の死が13年間、動かなかった能智氏の背中を押してくれたのだ。そうしていくつものタイミングが重なり、最後の冒険がはじまったのである。(後編に続く)
(【後編】小野、高原、稲本を追う日々の終焉。ドキュメンタリー番組の終わり方。 を読む)