プロ野球亭日乗BACK NUMBER
90年代、長嶋巨人vs.野村ヤクルト。
死闘の歴史──死球、報復、乱闘も。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/02/14 20:30
90年代にセ・リーグの覇権を争った巨人・長嶋監督(左)とヤクルト・野村監督。乱闘も辞さない“仁義なき戦い”だった。
物議を醸した長嶋監督の発言。
長嶋監督も感情を抑えられなかった。
「そりゃあいくことだってありますよ。目には目をです」
この長嶋さんの発言は物議を醸したのはもちろんだ。最終的にはうやむやに処理されたが、1年前に野村さんへの怒りを滾らせる姿を見ていた筆者は、このとき「故意」を確信していた。
いがみ合い、ライバル心を剥き出しにして、“死球合戦”という、それこそ死闘を繰り広げた90年代の野村ヤクルトと長嶋巨人だった。
相手を倒すことに全てをかけた関係。
結果的には'92年から2002年までの11年間でヤクルトが5回、巨人が4回の優勝を果たしたが、連覇は'92年と'93年のヤクルトだけだった。
ヤクルトが勝てば翌年は巨人が、そしてその翌年はヤクルトがと、お互いのリーグ連覇を阻んできたのも、常にこのライバル同士の戦いだったのである。
グラウンドに立ち続ける間、特に監督として対峙していた90年代から2000年代にかけての野村さんと長嶋さんの関係は、決して世の中が伝えるような美しい物語ではなかったはずだ。
もっとドロドロとした、お互いがいがみ合い、オーバーではなく、ただ相手を倒すことに全てをかけて戦い続けた関係だった。
そして野村さんと長嶋さんという稀代の野球人が鎬を削ったあのときのプロ野球には、いまにない緊迫感があり、それがファンを興奮させた。
いまとは違う野球の醍醐味、まさに死闘と呼ぶに相応しい真剣勝負の危うさが面白かった。
見ているだけで鳥肌が立った。
そういうギリギリの戦いをできたのは、おそらくいがみあって、競争心を剥き出しにして、どうしても勝たねばならないライバルがいたからだったのだろう。
それが監督時代の野村さんと長嶋さんの関係だったと思う。