プロ野球亭日乗BACK NUMBER
90年代、長嶋巨人vs.野村ヤクルト。
死闘の歴史──死球、報復、乱闘も。
posted2020/02/14 20:30
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
神宮球場ネット裏にある半地下の記者席からその騒動を見ていた。
1994年5月11日。この日行われたヤクルト対巨人戦の2回表、巨人の攻撃だった。
ヤクルトの先発右腕・西村龍次投手が、初球ストライクから打席の巨人・村田真一捕手に投じた2球目だ。
インコースに抜けてきた真っ直ぐが頭にスーッと向かってきた。
「糸を引くように」という言葉があるが、暗い半地下の記者席から見ていると、カクテル光線に浮かび上がった白球が、本当に糸に引かれたように真っ直ぐ村田の頭を目掛けて飛んでいったように見えた。
村田は首をすくめて避けようとしたが、ボールはヘルメットの上から左側頭部を直撃。両手で頭を抱えながらもんどりうって後ろに倒れた村田が、すぐさま立ち上がると凄まじい形相で叫びながらマウンドに向かって歩き出そうとした。
女性記者から悲鳴が漏れた。
ところが、だ。
3歩、4歩……歩を進めたところで、いきなり崩れ落ちた。
その瞬間に記者席にいた女性記者から悲鳴が漏れたのを記憶している。
それぐらいに「やばい」ことが起こったように見えた。倒れた村田は全く動かなくなり、アンパイアが慌てて球場職員にタンカを持ってくるように指示した。
タンカに乗せられてグラウンドから運び出されるときに、村田の腕がわずかに動いたことで、少し安堵したのを覚えている。
ただ、騒動はこれだけではなかった。
村田への死球をきっかけに、3回に巨人の木田優夫投手が“報復”の死球を西村の臀部にぶつけた。