プロ野球亭日乗BACK NUMBER
90年代、長嶋巨人vs.野村ヤクルト。
死闘の歴史──死球、報復、乱闘も。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/02/14 20:30
90年代にセ・リーグの覇権を争った巨人・長嶋監督(左)とヤクルト・野村監督。乱闘も辞さない“仁義なき戦い”だった。
両軍ベンチが空っぽになる乱闘劇。
さらにグラウンドではヤクルト躍進のキーマンだった古田敦也捕手の厳しい内角攻めに、とにかく巨人打線は手を焼くことになる。
これでもかというくらいにインコースを攻め込んで、それでも踏み込んでくる打者には容赦なく胸元にボールを投げ込ませた。
その内角攻めの結果、'93年5月27日のヤクルト戦では開幕から絶好調だった大久保博元捕手が、死球を受けて左手首を骨折。
直後の6月8日に富山で行われたヤクルト戦で、最初の事件が勃発した。
先発の宮本和知投手が古田を打席に迎えると、執拗に内角を攻めた上で死球をぶつけた。
そしてその古田がホームでのクロスプレーで巨人の吉原孝介捕手に体当たりをかましたが、その行為に吉原が肘打ちで対抗。詰め寄ったヤクルトのジャック・ハウエル内野手と吉原がもみ合いになって、それをきっかけに両軍ベンチが空っぽになる乱闘劇となったのだ。
「野村はやり過ぎですよ」
その後も両チームの試合では、常に何かが起こりそうな殺気だったムードに包まれる日々が続いたのである。
「野村はやり過ぎですよ」
当時の筆者は報知新聞の巨人担当キャップだった。富山の乱闘騒動からしばらくしたある日、2人でランチをしていると、珍しく長嶋さんが苦々しい表情でこう語るのを聞いた。
そして意を決したようにこう続けたのだ。
「選手を守るためにはウチだって黙っちゃいませんよ。やるときはやりますから」
そうして翌年に起こったのが、あの神宮球場の騒動だったのだ。
「木田の1球は故意だ。あれが故意でなければ、故意なんてない」
試合後に野村さんは珍しく怒りを露わにこう捲し立てている。