“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
静岡学園・田邉秀斗の機転と洞察力。
エース松村優太を生かした2年生。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/01/17 11:40
右サイドバックとしてエース松村をサポートした田邉。後半は中央からビルドアップに加わり、反撃の流れを作った。
「今自分がここにいるなんて」
劇的な決勝弾は83分。静学は相手CKを防いだ後、左サイドから崩すと、一度敵陣中央に戻したボールを受けたのは西谷だ。そこからサポートに向かった田邉にボールが渡り、そこからへ松村へ縦パスが通る。センターエリアで行われたサイドバック同士のパス交換で青森山田を揺さぶると、松村のドリブル突破から右CKを獲得。そしてこのCKからの流れで、決勝弾につながる左FKを獲得した。
3-2の大逆転勝利の裏には、冷静な状況判断をこなし、サポートに徹した田邉の存在があった。
「正直、今自分がここにいるなんて、まったく想像もしませんでした」
中学時代はまったくと言っていいほど無名。京都で生まれ育った彼は、中学時代は強豪の奈良YMCAジュニアユースでプレーしていたが、中2まではベンチ入りすらできなかった。「自分には才能がない」と京都の公立高校に進学を目指し、サッカーを諦めるつもりだった。
しかし、中学2年生の田邉に転機が訪れる。あるフェスティバルで主力9人が県トレセンの活動で不在だったことで、チャンスが巡ってきた。そこでCBとしてプレーすると、視察に訪れていた静学の関係者の目に留まった。
もともと、奈良YMCAから静学に進む選手がいたのも影響したのだが、名門が目をつけたのはこれまで試合にも出ていない、県トレセンに選ばれていない田邉だった。
機転が利くDFになる。
「僕はみんなのように『足元の技術をつけたいから静学に入った』というものではなくて、とりあえず高校を選ぶ余裕がなくて。最初に声をかけてくれた静学にしたんです。『もうこれ以上無理だ、サッカーは中学までにしよう』と思っていた自分に、まさかサッカーの強豪校から話がくるなんて信じられませんでした。もう断る理由はありませんし、他なんて考える余裕はありませんでした」
静学に入ると、メキメキと頭角を現し、川口監督を始めとした静学スタッフから学んだ洞察力に磨きをかけ、持ち前の身体能力に目と頭をリンクさせていった。
「中学のチームの友達から『昔はあんなんやったのにな』とかよく言われます。僕の中では下克上です」
もう無名の存在ではない。これから彼は「選手権日本一の選手」として大きな注目を浴びることになる。新チームでは本職であるCBになる可能性が高いだろう。この1年間の経験が、本来のポジションで輝くベースとなることは間違いない。
「サイドバックになったことで、見える景色がこれまでと違ったし、役割も違う。その中で攻守だけでなく、ボランチのカバー、CBのカバーとビルドアップの関わりを学べたことは大きいと思っています。もちろんサイドバックの魅力にハマってしまって、このままサイドバックをやり続けたいという思いもありますが、守備ラインならどこでもできる、4バックでも3バックでもできるということが自分の強みになると思う。『機転が利くDF』としてさらに成長をしていきたい」
彼の下克上はまだ終わっていない。
来年は最高学年としてチームを引っ張る。そしてプロへの道を切り開きたい。
リズム、テクニック、インテリジェンスを刻む静学スタイルをさらに自分に落とし込み、より大きな成長を手にしていく。