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大谷翔平の2番手だった男が米挑戦。
花巻東の3年で小原大樹が学んだ事。
posted2020/01/16 11:30
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Kyodo News
これも日本球界にとっての1つのチャレンジだ。
「バカかよといわれるのはわかっています。でも、それは先入観がそう思わせているのかもしれない。1%あるかないかの可能性ですけど、挑戦したい。僕らの同級生が常識を破ることの先頭をいっているので、いい刺激にはなっています」
日本製紙石巻の投手・小原大樹が12月限りで同社を退社し、米球界に挑戦している。花巻東高時代は、エンゼルスの大谷翔平らとともに甲子園の舞台を経験しているサウスポーだ。秋のドラフトでもプロから指名されなかった選手が下した決断には考えさせられることも多い。
「米挑戦」と一口に言っても、彼の場合は平坦な道のりではない。そもそも、今回の決断そのものが常識外れだ。
小原は花巻東を卒業した後、慶應大学に進学した。1年春にデビューを飾るなど大学生活のスタートは順調だったが、2年からは怪我などもあって高いパフォーマンスを持続できずに、大学通算2勝にとどまった。
それでも、プロ入りを目指して社会人野球の日本製紙石巻に入社。今年3年目のシーズンを終えたばかりだが、夢を追って、アメリカへ渡るというのである。
花巻東・佐々木監督に言われたこと。
「NPBに入りたいという夢を今も持っています。ただ、年齢を考えたときに、これから30歳までの5年間で何を掴むかだと思っています。あれこれ言われていることよりも、とにかく体験してみないことには話は進まない。そう思って決断しました」
NPBのドラフトに引っかからなかった選手が海を渡るのは容易なことではない。たとえ、マイナー契約を勝ち取ったとしても、茨の道だ。それでも限界を突破しようと決意した背景には、花巻東での経験、そして大谷翔平の影響が大きい。
「高校の恩師・佐々木洋監督からよく言われたのは、先入観や人から言われた情報によってできなくなってしまうことがあると言うことです。先入観を捨てて、自分が飛び込んで得るものが本当の価値だから、と。
今の翔平を見ていると、本当に同級生だったのかなと思うくらい別次元のところにいて、できないと言われていた二刀流をアメリカでもやっている。そんな彼を見て、『不可能を可能にする』とか、『常識を疑う』ということを教わりました」