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内山靖崇、17歳の挫折から10年後。
錦織圭や盛田名誉顧問も称える根性。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2019/10/04 19:00
ダニエル太郎とともにATPツアー8強進出を果たした内山靖崇。日本テニスの底上げがなされている証拠の1人だ。
IMGで挫折を味わった17歳の出来事。
錦織や西岡を輩出し、今年のウィンブルドン・ジュニアで優勝した望月慎太郎が現在籍を置くフロリダのIMGアカデミーは内山が中学1年から4年間を過ごした場所でもある。
内山も彼らと同じ盛田正明テニスファンドの支援を受けた1人だった。ただ、錦織や西岡と違ってプロになるまでそこに居続けることが許されなかった。支援の継続のために毎年厳しいノルマが課される中、留学5年目をかけた条件をクリアできなかったからだ。
帰国したのは17歳のとき。その後、日本で開催された大会に出場していた内山が、「日本のほうがお菓子とかおいしいし、カップ麺とかスナックを好きなだけ食べられるので、帰って来てよかった」と言っていたのを覚えている。
言葉通りに受け取ってそんな程度かと残念に感じたものだが、あれは悔しさの裏返し、17歳の精一杯の強がりだったのかもしれない。行き場を失い、モチベーションを失っていた当時の内山の様子は、あとで周囲の関係者たちから聞いた。それを酌めずに申し訳なかった。
内山の才能を信じた増田コーチ。
そんな内山を預かり、今まで10年近くの間ずっとコーチをしてきたのが、元全日本チャンピオンでもあり、当時はナショナルコーチを務めていた増田健太郎だ。
内山のキャリアは増田コーチの存在――内山の才能を信じ続けた愛情と辛抱強さなしには語れないだろう。
そこに先週からもう1人のコーチとして元日本のエース鈴木貴男が加わった。内山は「自分の強みである攻撃的なテニスの質をもっと上げていくことが、これからトップ100を目指す中で必要。そのためのネットプレーやサービス、スライスなど技術的な部分を貴男さんから学びたいと思いました」と説明した。
現役時代、増田はベースラインでのしぶといラリー戦を得意とするストローカーだった。一方の鈴木はサーブ・アンド・ボレーを軸とし、チップ・アンド・チャージで常に前に出ていくネットプレーヤーだ。鈴木は言う。
「ベースの部分は、プロとしての心構えのようなものも含めて、健太郎さんが長い時間をかけて全て作ってきてくれていた。僕は役割を明確に与えられたので、こんなに楽なことはないですよ(笑)。自分が得意な部分で、ちょっとしたコツとかヒントを伝えてきました」