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ジョコが初めて日本で戦った意義と、
楽天OPの格を高める完璧な対応。
posted2019/10/08 11:40
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Hiromasa Mano
左肩の故障で直前まで出場も危ぶまれていたことが嘘のように、王者ノバク・ジョコビッチは楽天オープンの最終日、有明コロシアムで軽やかにトロフィーを掲げた。
多少物足りなく感じるほどの勝ちっぷりだった。コート上で感情を爆発させることも少なくないジョコビッチだが、そんな<毒>の部分さえ見せずに、ただスマートに、力強く、巧妙に勝ちきった。添田豪との2回戦の終盤で判定にしつこく抗議した場面が、唯一熱くなったところだったかもしれない。
ジョコビッチは日本でプレーしたことのない最後の大物だった。
2006年にロジャー・フェデラー、2010年にはラファエル・ナダル、2011年にアンディ・マレーがチャンピオンズ・リストに名を残してきた大会だが、ジョコビッチはユニクロと契約していた時代でさえ、来日はしても「頑なに」と言いたくなるほど出場しなかった。
長年、彼のアジアシーズンでのルーティンは北京のATP500と翌週の上海マスターズだった。北京には'09年から2015年までの間に2011年を除いて毎年出場して、負けなしのV6。2016年以降は上海のみに絞り、その上海でも4回の優勝を誇っている。
五輪の会場を下見するだけでなく。
だから、中国のテニスファンにとってジョコビッチはまるで自国のヒーローだ。ジョコビッチもまんざらではなく、去年の上海では「僕はきっと前世では中国人だったと思う」とジョークを言い、テレビカメラに中国語まで書いたという。
そんなジョコビッチが32歳になって初めて東京でプレーする気になった最大の理由は、会場である有明コロシアムが東京オリンピックの会場だからだ。16のグランドスラム・タイトル、33個のマスターズ・タイトルの上に、デビスカップの栄冠も手にした王者が、オリンピックだけは銅メダルが最高だ。年齢的にも次の東京が最後のビッグチャンスだろう。
「オリンピックは僕のキャリアの今の時点においてもっとも大きな目標の1つ」と語り、今回はそのサーフェスの感触、東京の暑さや湿気、会場内のコートの配置や練習コートの状態などの<下見>という目的があった。
しかし、それだけにとどまらないのがジョコビッチだ。