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「五輪のデザイン」を作るお仕事。
日本の美意識を平安時代まで遡って。 

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byShinya Kizaki

posted2019/09/17 07:00

「五輪のデザイン」を作るお仕事。日本の美意識を平安時代まで遡って。<Number Web> photograph by Shinya Kizaki

沢田耕一さん。

【デザインディレクター】
オリンピック・パラリンピックの会場装飾や公式グッズなど、大会を印象づけるビジュアルは、同一の基本要素をもとにデザインされている。もちろん東京2020も例外ではない。デザインディレクターにその制作過程と狙いを聞いた。

 オリンピック・パラリンピックにまつわるデザインといえばエンブレムが頭に浮かぶが、もう1つ大きな役割を担うデザインがある。大会のビジュアルを統一するための基本要素「コアグラフィックス」だ。競技会場の装飾から大会チケットやライセンス商品まで、すべてこれをもとにデザインされる。前回のリオデジャネイロ大会では自然を思わせる緑や青の色彩がコアになっていた。

 沢田耕一は電通で多くの人気CMを生み出してきた。その経験を生かし、2020年東京オリンピック・パラリンピックのコアグラフィックスの設計と応用のデザインディレクターを務めている。

「広告は思いつきだけだとうまくいかず、何のためにやるのかといった基本コンセプトがないとダメ。15秒のCMでもとことん掘り下げて考えます。今回はそのスケールがさらに大きくなったもの。ロンドンでもリオデジャネイロでもパリでもない、日本と東京らしさを込めたいと思いました」

平安時代に確立した「日本の色の美意識」。

 チームのメンバーは沢田を含めて5人。まず調べたのが、日本の色の歴史だった。

「最初に人に話を聞いたり、本を読んだりする作業を山ほどするんです。自分の知識だけでは、自分の限界を超えられませんから。専門家にお聞きすると、日本らしい色の美意識が確立したのは平安時代だそう。それ以前は中国の影響で派手な色が好まれたのが、貴族や清少納言といったおしゃれな人たちが日本らしい色を追い求めたと」

 平安貴族には資金があり、見たことがない濃い赤を目指して何度も染めが繰り返された。次第に黄色の要素が抜け、オリジナルの紅色が生み出された。

「当時の人は自然の中から紅、桜、藍、藤、松葉といった色を見つけた。これらを並べるだけだと、色相のジャンプが激しくまとまりがないのですが、十二単で使われている『かさねの色目』の同系色で構成する色彩の表現にヒントがありました。同系色が並ぶと、日本らしさが生まれた。十二単に倣い、同系色を6段階のグラデーションにして色彩を構成する方法に決めました」

【次ページ】 日本的な色彩に、東京のモダンを足す。

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