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山を走って世界一を目指す女性研修医。
医師国家試験前の悪夢を乗り越えて。
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph bySho Fujimaki
posted2019/06/23 08:00
信州上田医療センターで研修医として勤務する高村貴子。世界のレースを転戦する。
初めてのレースでいきなり3位。
一浪して、旭川医科大学に入学。トレイルランに出合ったのは大学2年生のときだ。所属していた競技スキー部の先輩に誘われて、北海道内で開催された15キロのトレイルランレースに出場し、いきなり3位に入賞してしまう。それまで経験したことのない苦しさ、爽快感や達成感に魅了され、トレイルランの世界にのめり込んでいく。
そこからは出場する大会で次々に入賞、優勝し、実績を重ねていった。お気に入りの練習場所は富良野岳から十勝岳までのコース。晴れた日、朝早くから山に走りに行くのが楽しみになった。
2015年に初出場したハセツネで3位に入り、翌2016年には女子総合で初優勝、それから3連覇を果たす。あっという間に国内女子の頂点に立った。
農作業の手伝いで培った忍耐力。
早くから才能を開花させた高村だが、意外にもトレイルランに出合うまで、山には縁が無かったという。
「故郷の石川県には山がたくさんありますけれど、虫が嫌いなので(笑)、登山とかまったく興味がありませんでした。山に行くのはゲレンデスキーをするときくらい。トレイルランレースも、最初はボランティアとして参加したんです。走る人たちを見て『なんでみんなこんなキツいことをするんだろう?』って不思議に思っていたくらいです」
学生時代は勉強と競技に集中するため、アルバイトはしなかった。国内レースに招待されると、宿泊場所は大会が用意してくれるが、会場までの交通費は自己負担。海外遠征も同様だ。両親はわざわざ北海道から遠征を繰り返す娘を不思議に思っていたようだが、いまは会場に応援にかけつけるなどサポートしてくれる。
高村本人は「両親への借金の額が膨大です」と笑い、はやく医師として一人前になって恩返ししたいという。
高村のランナーとしての長所にも両親の影響がある。自身の強みについて「諦めないところ」と分析する高村は、子ども時代を振り返る。
「実家が米農家で、よく農作業の手伝いをしていたんです。子どもだった自分はそれがとてもつらくて、早く終わらないかなといつも考えていました。でも自分がやらないと終わらない。それならやるしかないなと気づいたんです。踏ん張っていれば、必ず終わるし状況もよくなる。レースでも、前半苦しくても絶対に復活すると信じています。そう思うと、本当に身体が復活するんで」