ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
トルシエが彼らをC代表と呼ぶ理由。
「コパの意義は個人の成長と選別」
posted2019/06/17 18:00
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Koji Watanabe/Getty Images
コパ・アメリカ2019が開幕し、日本の初戦となるチリ戦がいよいよ今夜キックオフを迎える。
当連載コラム『ワインとシエスタとフットボールと』では、ロシア・ワールドカップ、UAEアジアカップに続き、コパ・アメリカでもイビチャ・オシム、フィリップ・トルシエの不定期連載を予定している。ただ、今回は、時差の関係でヨーロッパで試合が見にくいため、オシムについては実現できるかどうか、現段階でもハッキリしていないが……。
ディフェンディングチャンピオンであるチリとの対戦を前に、まずはトルシエがコパ・アメリカに参加する意義を語った。
「私の時は準備が難しかった」
――日本が20年ぶりにコパ・アメリカに参加します。あなたが率いた1999年以来の出場をどう見ていますか?
「日本サッカーの進歩の過程にはなり得るとは思う。しかし協会とJリーグの間に十分な合意ができていない状況で、コパに送り出す選手の年齢層がとても若くなってしまった。
私の時は準備が難しかった。準備のための時間がまったくとれず、Jリーグの試合を終えた直後にパラグアイへと旅立つことになったからだ。
当時私が感じたのは、この大会を代表のスケジュールに組み込むにあたり、Jリーグと軋轢があったのではということだった。同じことは今回も感じる。代表のスケジュールにコパが合理的に組み込まれているようには思えない。どうして日本が南米連盟の招待を受け入れたのかわからないが、きっちりとした計画性が見えない。単に参加するためだけのようにも見える」
――たしかにJだけでなくヨーロッパのクラブの合意も得られない状況で、代表初招集となる五輪世代が主力です。
「私の時はシドニー五輪予選の2つのラウンドと重なっていた。だから五輪のためにコパ・アメリカを活用する考えはまったくなかった。五輪予選が同時に進行している状況ではそれは不可能だったし、2つのプロジェクトは完全に別のものだった。
コパ・アメリカが有益であったのは、'98年ワールドカップ組の評価を下す最終段階となったことだ。当時はチームの移行期で、'98年組の選手たちをどうするかの判断を下しかねていた。私にとって'99年は日本のポテンシャルを見極めるための年であり、コパ・アメリカもその機会で、'98年組の最終的な評価を下すための大会となった」