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知られざる平成元年のフットボール。
山田隆裕、長谷川健太が新星の頃。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byAFLO
posted2019/05/14 17:30
1989年、日本代表でプレーしていた頃の長谷川健太。赤だった日本代表ユニフォームも時代を感じる。
明石家さんまがヌードになった!
以前にも書いた通り、この平成元年に日本サッカーの大改革は始まった。低迷していた日本リーグを活性化することからスタートし、プロリーグ設立へ。その最初の試金石となったのが、この「国立を満員にしよう」キャンペーンだったのである。
余談をすれば、このキャンペーンのPRに貢献したのが明石家さんまだった。これ以前にも日本リーグのポスターにヌードで登場したことがある彼は(釜本邦茂さんも脱いだ)、このときもビジュアルで協力。集客を後押ししたのだ。
とにかく、できることは何でもやる。この頃の日本サッカーにはそんな意気込みがあった。もしかしたら、ここでコケたら後はない。そんな悲壮感もあったかもしれない。
そして、このキャンペーンから4年後、Jリーグ開幕に辿り着くのである。
加茂周率いる日産の豪華メンバー。
そんな平成元年の日本リーグを制したのは日産自動車(現マリノス)だった。
開幕から11連勝。このときの日本リーグは12チームによる2回戦総当たりだから、前半戦を全勝で飾る快進撃である。
監督は加茂周。木村和司、柱谷幸一、水沼貴史と攻撃陣にタレントが揃い(清水東高から筑波大を経て入団した大型ルーキー、長谷川健太もいた)、そんな彼らをオスカー、柱谷哲二らが固い守備で支えた。
実はこれが初優勝。このシーズンは日本リーグだけでなく、リーグカップ、天皇杯も獲って3冠を達成。さらに翌年もV2を果たす。
その意味では(古豪のイメージを持っている人もいるかもしれないが)Jリーグ草創期まで続く「読売(ヴェルディ)・日産」時代は、実は平成になって始まったということだ。
付け加えれば、2位は全日空。言うまでもなく後に「F・マリノス」となるフリューゲルスの前身である。このシーズン2部から昇格したばかりで躍進した。
一方、2部へ降格することになったのが11位の住友金属(アントラーズ)と12位(最下位)の三菱重工(レッズ)。
住金は、以後、1部へ返り咲くことはできなかったが、Jリーグ創設時に屋根付きスタジアムを建設し、「オリジナル10」入りを果たしたことはご存じの通りだ。
一方、日本リーグの「オリジナル8」(1965年、8チームで創設した)だった三菱はこれが初めての降格。それでも1年で1部へ復帰する。再昇格を牽引したのがルーキーの福田正博である。