Jをめぐる冒険BACK NUMBER
浦和とガンバ、2000年代の黄金期。
“優勝決定戦”を経てのACL王者。
posted2019/05/12 11:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
J.LEAGUE
好対照だったのは、チームカラーだけではない。
田中マルクス闘莉王、坪井慶介、鈴木啓太といった代表戦士が後ろを固め、ワシントンやポンテら強烈な個の力で相手をねじ伏せる浦和レッズと、遠藤保仁、二川孝広、橋本英郎、明神智和といった中盤の名手たちが華麗なハーモニーを奏でるガンバ大阪。対照的なスタイルも、両者のライバル関係を味わい深いものにしていた。
2006年12月2日のJ1最終節。Jリーグ記録を更新する6万2241人が詰めかけた埼玉スタジアムは、わずか一角の青黒を除き、真っ赤に埋め尽くされていた。
前節、リーグ初優勝に王手をかけていた浦和がFC東京と引き分け、2位のG大阪が終了間際の劇的弾で京都サンガを下したことで実現した頂上決戦。チャンピオンシップは'04年を最後に廃止されていたが、この一戦にはリーグ戦にもかかわらず、ファイナルの趣があった。
優勝を争う両チームが最終節で相まみえたのは、Jリーグの歴史の中でも、このとき限りだ。
浦和が圧倒的優位だったはずが。
もっとも、両者の間には勝点差3、得失点差5の開きがあった。ただでさえ、ホームの圧倒的なサポートを得られるうえ、この一戦に敗れたとしても2点差以内なら、栄冠を手にできる――状況は、浦和の圧倒的優位を示していた。
しかし、そのアドバンテージが足かせとなる。
「最初、チームはサッカーを忘れていた。守ろうとする意識が強かった」
当時の取材ノートには、ギド・ブッフバルト監督のこんな言葉が残されている。逆転優勝を、しかも連覇を目指すアウェーチームの勢いに、ホームチームはまんまと飲まれてしまうのだ。