Jをめぐる冒険BACK NUMBER
浦和とガンバ、2000年代の黄金期。
“優勝決定戦”を経てのACL王者。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/05/12 11:00
2000年代後半に黄金時代を築いた浦和とG大阪。それぞれアジア王者に輝くことになる。
クライフを愛する西野監督の理想。
ポゼッション志向が強まるのは、ふたりがチームを去った'06年に入ってから。9月16日の23節・大分トリニータ戦で本格的に遠藤、二川、橋本、明神の4人を4-4-2の中盤に並べて起用する。
まるで命が宿ったようにボールが駆け巡るパスサッカーは、バルセロナとヨハン・クライフを敬愛する西野監督が思い描いていた理想形。自在にボールとスペースを操る4人は、'82年スペイン・ワールドカップにおけるセレソンの中盤、ジーコ、ソクラティス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾになぞらえ、“ガンバ版・黄金の中盤”と言えた。
しかし、キャスティングの最適解を見つけた矢先に遠藤が離脱。チームの心臓を失ったG大阪はギアが上がらず、なんとか浦和に食らいついてきたのだった。
最終節に至っても、遠藤は完全に復調したわけではなかった。だが、あとのない状況となり、指揮官は稀代のプレーメーカーをピッチに送り出すほかなかったのだ。
シジクレイの負傷退場と追加点。
しかし、直後、思わぬアクシデントが浪速の雄を襲う。
シジクレイが負傷退場し、交代選手を準備しているさなかの59分、CKの流れから闘莉王の折り返しをワシントンがヘッドで押し込み、浦和がリードを2点に広げる。
G大阪もCKから山口智のゴールで1点差に迫ったが、浦和の歓喜へのカウントダウンは止まらない。
83分には殊勲のポンテに代わり、左膝内側側副靱帯損傷から復帰したばかりの坪井が登場。こうして堅守の立役者をねぎらった指揮官はさらに粋な計らいを見せる。功労者の岡野雅行、長期離脱からこの年帰ってきた田中達也までピッチに送り込み、初戴冠に花を添えるのだ。
アディショナルタイムも2分が過ぎ、上川徹主審のホイッスルが鳴った瞬間、闘莉王が、長谷部誠が、山岸範宏がガッツポーズを繰り返し、ベンチ前ではブッフバルト監督を囲んで歓喜の輪が広がった。
この瞬間を待っていた――。Jリーグ史上最多の観衆が詰めかけた埼玉スタジアムのスタンドは、感動と感涙で赤く揺れたのだった。