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磐田が誇る「N-BOX」を攻略した、
鹿島の逆プレスと伝統の勝負勘。
posted2019/05/08 10:30
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph by
J.LEAGUE
名勝負数え歌と言えば、鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田である。
1990年代後半から2000年代初めにかけてJリーグの覇権を二分した両軍の攻防は、本身を使って殺陣をやるような緊張感と迫力に満ちていた。まるで果たし合い。その連続だった。
そんな黄金カードのピークは2001年だろうか。両軍がチャンピオンシップで雌雄を決する最後の年だ。互いの力関係が崩れはじめるシーズンでもあった。
この年、天下二分の計に敢然と異を唱えたのが磐田である。いや、打倒鹿島ではない。その目は国内を飛び越え、世界を見据えていた。アジア王者として挑む世界クラブ選手権で、強豪を打ち破る野心を抱いたからだ。
実際には大会の運営を任されていた代理店の不手際で開催が中止となり、磐田の野望はついえてしまう。ただ、開幕前のキャンプから取り組んだ世界戦略がチーム力のステージを繰り上げることになった。
『N-BOX』の革新と磐田の圧倒。
最強磐田の新たな幹。それが世界と伍して戦うために実装した苛烈なプレッシングだ。
そして、攻守の最大値を引き出す陣形を整える。中盤の選手たちをサイコロの五の目の形に並べる3-5-2の新布陣。やがて五の目の中心点に陣取る名波浩の頭文字を取って、『N-BOX』と呼ばれるようになった。
磐田の革新は、好敵手との戦い模様を一変させてしまう。
ファーストステージの第4節で顔を合わせた春の決戦で鹿島を圧倒。当時の主力選手たちが「黄金期のベストゲーム」と口をそろえる会心の出来映えだった。
華麗なパスワークを金看板にしてきた磐田が破格の強度を誇るプレスを加えて二枚看板を持つに至ったのだから、強いのも当然だろう。マイボールなら無双だが、相手ボールになると隙だらけ。そんな古色蒼然たるチームとは明らかに一線を画していた。